この記事の概要を簡単まとめ!
- テレビで使われるようになっていきなり広がった「親ガチャ」
- 現在のソシャゲ乱発時代に生まれたネットスラングの1つ
- 昔からある「親は子を選べない」をかなり皮肉に捉えたものなのか?
- 「親ガチャ」というなら、URは「一般的・普通」が揃うとき?
- 環境や両親が”UR”であっても、それを生かすのは結局自分自身
- “C”, 所謂「はずれ」から”UR”になる人も存在する
- しかし現実は甘くない、弱者にも優しくない、「親ガチャ」も一理ある
- 結局格差問題に行き着く、最適解はこれの是正か?
自分の将来について、度々熟考する。同時に過去の行動も振り返る。だが過去のことは、「今」の少し前のことについて考えるのが主であり、遠い過ぎた日々のことを考えるということは少ない。既に過ぎてしまったときのことを、今更取り戻したりやり直すということは不可能である。反省材料となることにはなるが、だとすれば直近の過去をデブリーフィングした方がいいというもの。重要なのはそこから先にどう繋げていくか。といっても、先のことを考えすぎては解決しないが。
さて、非常に手軽な洗脳装置として、インターネット世代の人からは嫌われているテレビであるが、先日どこかの情報番組とは名ばかりなワイドショーにおいて「親ガチャ」という言葉が全国に放送され、主にオワコンSNSの神Twitterで話題となっている。その影響は陰にあたるFediverse上でも、表立って触れられることはなかったが数人が話題にするくらいには「センシティブな言葉」だったようだ。事実、この言葉に対し否定的反応も観測できる。
そこで今回は私KIBEKINが、そのセンシティブな話題にメスを入れて、「親ガチャ」について私なりの分析と考えをここで提示していく。メディアの表舞台で特にスポットライトを浴びる立ち位置にいる、成功者の「綺麗に濾過された意見」とは違った、不純物も私情も混じったような「汚いが生の意見」をお送りすることになるであろう。だがその方が、「きれいごと」がない分、余計なことを考えずに純粋に自分の意見を伝えることができるはずだ。