生き方と考え方 | Kibekin BLOG.

【デジタル時代の考え方】ミニマリスト論2:物を「物質的」に持たないは正解か?

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  • 祖父の遺品整理に忙しい現在
  • その量は多く、全てを管理するのに時間がかかっている
  • 今後の引っ越し予定にも合わせて自分のものも捨てる準備をしている
  • 移動を頻繁にするのなら「ものが多い」ことは足枷になるはずと気付く
  • 最小限の物で生活する「ミニマリスト」を再び考え付く
  • 毎日使うもの、こだわりのもの、代替不可能なもの以外は「不要」と捉えられるかどうか
  • デジタル化推進時代、残したいものがあるのならそれを利用する手がある
  • VR技術の継続的進化は近い内「完全再現」を可能にする
  • 物質的に残す時代は終わりか?

忙しさが増えてしまうと、自分の作業が中断されることが多くなる。したがって、現状の私は記事の1本を書くことですら滞りがあるような状況であり、おそらくはこの状態が最低でも6ヶ月は続くと見込んでいる。正直私はこの状況を良しとしない。というのも、一応の本業であるブログクリエイターが遺品整理によってまともにできなくなっているからである。本業を犠牲にしてまで遺品整理してしまうのは、私としてはナンセンスにも感じることである。

さて、そんな遺品整理をしている時に感じたことがある。一言で表せば「多すぎる」ということであるが、それは遺品以外の物でも当てはまる。日常生活において「使わないが手元に置いておきたいもの」というのが存在するはずだ。欲が多い人は、それがかなり多くなることであろう。そうなったとき、部屋に使わずに置いてあるものが増えていくことに違いない。コレクターズアイテムであれば尚更、買った後は未開封か、どこかに飾っておいて後は放置、ということが一般的であるはずだ。

ただ、最近の出来事からこれはあまり利口ではないということを考えた。家族の誰かが転勤族のために頻繁に引っ越しをする必要があることを代表例として、人売り企業SESなので様々な場所を行ったり来たりする、一軒家やマンションを手放すことになった、といった事態は起こり得る話である。その際に持っている荷物が多すぎると移動に苦労することはすぐ想像できる。結局そこで余計な荷物を棄てる手間が発生するので、だったら最初から「使う物だけ」しか持たない方が効率がいい。これが所謂「ミニマリスト」と呼ばれる、必要最小限の物で生活するスタイルになる。以前にもミニマリスト的な生活について書いたが、今回は時代に合わせた改訂版と思って読んでもらいたい。

【気付けば終わってた】人間関係の「賞味期限」は存在する~構築と消滅の繰り返し~

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  • 人間とは実に面倒な生物である
  • 「独りでは生きられない」は残念ながら正解であり、殆どで誰かと関わっている
  • その過程で特定の人物と交流するようになる
  • だが大半の人間関係は自然消滅しがちである
  • 長く連絡しない・会わない人は自然消滅しやすい
  • 例え「気が合う」同士でも思想の相違が決別の理由になる
  • 友好的になるのは時間がかかり、絶縁になるのはほんの一瞬
  • 逆にどういうタイプが長続きするのか
  • もし「賞味期限切れ」であっても、どうせそんなものであったと割り切れ

人間とは面倒な生き物であることをつくづく思う。それと同時に、私自身、なぜ面倒な人間になっているのか、それを未だに考えている。人間であるから面倒だと思うのか、それとも時代や状態が悪いからそう思うのか。その答えは、人間として生きている限りわからない。もし人間以外の存在に私が成れたとき、人間を棄てて後悔するのか、それともしないのか。難しい話だ。

面倒といえば、人間同士の、所謂「人間関係」は非常に面倒なものである。人間は、自分のことですら理解することが難しいというのに、相手のこともある程度理解した上で、当たり障りのない関係を築き、平穏にやっていかなくてはならない。それは、自分が「嫌い」と感じる人でも原則分け隔てなく、である。みんななかよく、とは昭和の時代で終わりだ。

そんな中で特定の人物との人間関係を持つことがあるだろう。それは「友人」という2文字で表せるものであるが、友人を作るハードルはインターネットの存在によってかなり下がっている。しかしその分、簡単にその関係を切れることもあって、実質的には人間関係は希薄になりがちである。そんな中でも長持ちする人間関係は、貴重なものであろう。

しかし、私が近日中に経験したのが、割と長く続いていた、インターネット上の関係がばっさり切れてしまった人が数人いた。この経験から考えたのが、人間関係には繋がり方に依らず「賞味期限」が存在するのではないか、ということだ。タイトルからして既にマイナスな内容だが、だが人間関係について違和感を持っている人は未だに多い。したがって、自分へのメモ帳としても、今回はこのことについて考えていく。

【最善策は放置】ネット上のメンヘラ取説~触らぬ神に祟りなし~

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  • 人間には様々な「タイプ」が存在する
  • 取り扱いが非常に面倒なタイプ「メンヘラ」
  • 現実世界ではもちろんだがインターネットにも存在する
  • SNS, 所謂Fediverseにもメンヘラはいた
  • 「傾向」を掴めば被害を受ける前に対処できる
  • もし分からずに近付かれても観察すればわかることも多い
  • そしてSNSは拒絶機能満載、簡単に排除可能
  • 実例を見て、メンヘラの怖さを学ぶ
  • 「触らぬ神に祟りなし」とはまさにこのこと、放置して忘れることが最善策

人間ほど面倒な存在はいないであろう。人間とは機械と異なり、常に変動的で行動を予測できない、そして感情によって周囲の人間や自分自身すら振り回し困惑と混乱の渦に陥れる、面倒で相手にするのが疲れる存在だ。かといってそれを手放すためにAIなどの現段階では「定型句」を返す機械を相手にすると、それはそれで相手にしているうちにつまらなさを感じて人間を求めるようになる。そしてそれをループし苦しむのである。人間は学ばない。

その人間にも「タイプ」が存在する。どうしても人間は何かに分類しなければ気が済まないらしいが、しかし分類されたことによって、接すると危険な人間であることを教えてくれるものも存在する。その中の1つに俗称で「メンヘラ」というタイプが存在する。簡単に言えば非常に面倒なタイプで、しかも男女問わず存在する。そもそも性で区別しなくても、誰でもメンヘラである可能性が否定できないのが現代だ。そこにいる人間も、もしかしたらメンヘラかもしれない。

現実には厄介なその存在が、インターネットの一般化によってSNSにも現れその存在が多くに認知されるようになった。今現在の傾向としては表向きには普通の人間だが実際は何か問題を起こしがちな隠れメンヘラが多い印象だ。そしてSNS, 所謂Fediverse上でもその存在を多数確認できる。その中には実際に問題を起こし、周囲に多大な迷惑と嫌悪を与えた者がいる。それらについて、KIBEKINの視点からどう見抜いて対処すべきかを考える。

【恋愛至上主義破壊】恋愛経験がなくてもおかしくない!~KIBEKINの考え方~

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  • 「恋愛」は多くの人が好む「一般的」コンテンツ
  • 20代前半までに1回以上経験があることが「普通」
  • 経験がないことを「異常」とみなすことも多くなった
  • そもそも恋愛経験だけで人間を評価する行為こそ「異常」である
  • 自由恋愛なのに「恋愛しない自由」を認めないのは勝手すぎる
  • 恋愛経験なし=異常レッテルは一種の差別に当たる
  • 執筆時点25歳、恋愛経験なしでも(人間として)おかしくない
  • くだらないことで消耗するのは終わりだ

世間一般の話については、私は基本的に興味ないもので終わる。だがネタにはしやすい。ただ問題としてはネタにした場合、内容がガバガバになりがちということである。過去に私が書くにしては珍しい題材(タイトル)で多数の記事を公開しているが、それらは後の方になると必ずガバガバになっていることの反省文を書いているほどにはガバガバになる。しかしネタ切れでも書かなくてはならないことがあって、仕方なく書いていたのはある。

今回の題材である恋愛についても、私が扱えばガバガバになりやすいものである。だがこの題材はSNS上でも度々議論になるものであり、検索すれば多数の情報を入手することができる。そしてこれは私の話となるが、生まれてこのかた、一度たりともまともな恋愛経験が一切ないのである。そしてこれを執筆している時点で25歳。一般的な基準でいうところの「異常」扱いされる側だ。するもしないも自由に決められるはずの恋愛をしていないと何故異常者扱いされなくてはならないのだろうか。

だが、異常者扱いされようと私には全く関係ない。むしろ、恋愛したいという気持ちすらない。だからと言って出来ないことを悩むことはなく、同じく恋愛出来ないことに悩んでいる人を見ると、その様子に私は懐疑的になる。また誰かが現在進行形で恋愛していて、それについて何か投稿をしていても全く気にすることがなくなったのである。これも誰かに話したり見聞きした場合、否定的意見がぶつけられることが多い。だが私はそれこそ、つまり恋愛至上主義的な思考を否定し、そして恋愛経験がなかったとしても慌てる必要がないことを、私KIBEKINの考えを元に語っていく。

【なくてもいい】取捨選択、ミニマリストな生き方を考える

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  • 現代は「物はあっても金はない」人が多い
  • 無能国家日本は自国民に冷たい
  • ある程度生活が回れば、「不要な物」がわかってくる
  • 「ミニマリスト」のスタイルが登場する
  • 「極力物を持たない」ことで受ける多数のメリットが存在
  • 時代の進化が皮肉にもミニマリストを可能にする
  • ミニマリストは決して悪いものではない

金で買えないものがあるといわれているが、それは表向きだ。実際はあらゆるものが金という存在が前提のもとに成り立っている。金があれば何でもできるし、逆に金がなければ何もできない。所詮、金がすべてである。

さて、無能政府が死のコロナウイルスを蔓延させて以降、収入が減った人は多いであろう。もっとも、それ以前から収入が少ない人はいる。そのため、生活費だけで金がなくなって、遊びに使える金がないことも多い。したがって、必須家具家電電化製品以外殆ど何もないということはあり得る。

だが、技術発展と時代の進化により、1つのアイテムないし製品は複数の機能を有することが普通になった。スマートフォンはその最たるものといえよう。家電では電子レンジがオーブントースターの機能も付与されているなど、それ1つで殆どのことができるという優れものである。

実は電化製品は1つの機能しか持たないものも多い。だが1つの機能しか持たないものは、別の電化製品や工夫によって代用することができる。代用できれば1つの機能しか持たないものは「不要」になるので、持たなくてもいいようになる。それを突き詰めていくと、所謂「ミニマリスト」というスタイルに行きつくのである。今回はそんなミニマリストについて、節約も含めて持論を展開していく。

【人生向いていない】仕事ができない人:対処法を考える

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  • この世界には仕事ができる人とできない人がいる
  • 環境に適合しなければできる人でもできない人になる
  • 環境に無関係で恒常的にできない人も存在する
  • 仕事ができない人が企業と社会に与える損失を考える
  • 仕事ができない人は人生向いていないのか
  • 安楽死or自宅ないし施設軟禁が対処法となりえるか
  • 仕事がまるでできない人がいても不思議ではない

無能国家ジャップは実にすごい!奴隷にしか思っていない一般国民には金を出さず、自分達を含めた上級國民には優遇に優遇を重ねて、この深刻な状況下でものうのうと安泰に暮らしているので、恥の極みというべきだろう。個人的に海外と交流がある人からは連絡が来て心配されるほどのようで、クソさ度合いでは自慢できるようだ。

さて、この世界において仕事というものは収入に直結するため、生活に切り離せない活動の1つである。そうであるのだが、時に仕事ができない人というのが一定数存在する。とはいえ仕事ができなくとも仕事しなければ生きていけないので、渋々仕事していることも少なくない。

ただ、仕事ができない原因が環境に問題がある場合と、環境に無関係で仕事ができない人がいる。前者は最適な職場に転職することで解決することがある。後者は転職しても、その先で仕事ができないことにより平均3ヶ月程度で職場を転々とし、最終的にどの仕事もできなくなるというパターンである。

そこで思うのが、後者の場合の仕事ができないことは、人生そのものに向いていないのではないかということである。しかし残念ながら人生に向いていなくても血税は徴収され、生きる義務を負い、労働の義務も負う。しかし仕事ができないことで、企業や社会に損失を与えることもあると考えている。その場合、仕事をさせず、軟禁するという選択肢、或いは本人が望む場合の安楽死は果たして正しいのだろうか。

今回は仕事ができない人について、私独自の視点から対処法を考える。

【死の権利】安楽死を考える:死を選ぶということ

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  • 非健常者が生きることは一部の人にとって苦行
  • 自殺が許されないという一般常識
  • 安楽死が権利として存在するスイス
  • 無理矢理生かすのは果たして正しいのか
  • 死は救いではない

なりたくてなったわけではないのに、病気や精神疾患や発達障害になってしまった。生まれたくてこの世界に生まれたわけではないのに、辛い家庭環境に生まれてしまった。誰も好きで選んだわけではない。誰だってそうなることは嫌である。そうでありながら、生まれてくる

しかし日本ほどこれらのことに関しては冷たく、自業自得で済ませて見放しては、それを嘲い見下して、マウントの対象にする。そこに一人の理解者も存在せず、孤独に生きることを強いる。身近な人が理解者となってくれればまだ助かるのだが、そうでない場合は本当に孤独のまま生きることになる。特に親に理解してもらえないということが多々見受けられる。

そうして辛い日々を送り、いつしか耐えられなくなったときに、死ぬことが頭に浮かぶ。この瞬間に、死=解放というシンプルで強力な式が完成する。しかし問題は、自殺は一般常識的に認められていないこと、いざ自殺しようにも死ぬのが怖いこと、痛いのは嫌であること、偶発的事故はなかなか起きないこと。それらの要件が重なって、死ぬに死ねなくずっと苦しんでいるということも多い。

そんな状況を解放する最後の手段として、スイスには安楽死が存在する。ただし今回は苦しみから解放されることについての「安楽死」について考えていく。

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