この記事の概要を簡単まとめ!
- 祖父の遺品整理に忙しい現在
- その量は多く、全てを管理するのに時間がかかっている
- 今後の引っ越し予定にも合わせて自分のものも捨てる準備をしている
- 移動を頻繁にするのなら「ものが多い」ことは足枷になるはずと気付く
- 最小限の物で生活する「ミニマリスト」を再び考え付く
- 毎日使うもの、こだわりのもの、代替不可能なもの以外は「不要」と捉えられるかどうか
- デジタル化推進時代、残したいものがあるのならそれを利用する手がある
- VR技術の継続的進化は近い内「完全再現」を可能にする
- 物質的に残す時代は終わりか?
忙しさが増えてしまうと、自分の作業が中断されることが多くなる。したがって、現状の私は記事の1本を書くことですら滞りがあるような状況であり、おそらくはこの状態が最低でも6ヶ月は続くと見込んでいる。正直私はこの状況を良しとしない。というのも、一応の本業であるブログクリエイターが遺品整理によってまともにできなくなっているからである。本業を犠牲にしてまで遺品整理してしまうのは、私としてはナンセンスにも感じることである。
さて、そんな遺品整理をしている時に感じたことがある。一言で表せば「多すぎる」ということであるが、それは遺品以外の物でも当てはまる。日常生活において「使わないが手元に置いておきたいもの」というのが存在するはずだ。欲が多い人は、それがかなり多くなることであろう。そうなったとき、部屋に使わずに置いてあるものが増えていくことに違いない。コレクターズアイテムであれば尚更、買った後は未開封か、どこかに飾っておいて後は放置、ということが一般的であるはずだ。
ただ、最近の出来事からこれはあまり利口ではないということを考えた。家族の誰かが転勤族のために頻繁に引っ越しをする必要があることを代表例として、人売り企業SESなので様々な場所を行ったり来たりする、一軒家やマンションを手放すことになった、といった事態は起こり得る話である。その際に持っている荷物が多すぎると移動に苦労することはすぐ想像できる。結局そこで余計な荷物を棄てる手間が発生するので、だったら最初から「使う物だけ」しか持たない方が効率がいい。これが所謂「ミニマリスト」と呼ばれる、必要最小限の物で生活するスタイルになる。以前にもミニマリスト的な生活について書いたが、今回は時代に合わせた改訂版と思って読んでもらいたい。