この記事の概要を簡単まとめ!
- インターネットを利用する上で切り離せない存在の「広告」
- 無料のサービスは殆どで広告がつくようになっている
- 「信頼できるパートナー」が広告配信企業と提携し収益を得る
- コンテンツの間に挿入される広告に嫌悪を示す人は少なくない
- 広告を除去する手段は所謂「課金」か「アドブロック」
- 「悪意のない広告」にはアドブロックは本当に必要か?
- 交友関係にある人が「広告収入」を得ているなら尚更考えるべき
- それでも広告が不要と感じるなら何でもすればいい
- その人の助けとなるのであれば広告は決して「悪」ではない
最近よく思うのは、詐欺師と呼ばれる存在は実は詐欺のレベルは優しいのではないかということだ。詐欺そのものについては刑法に規定されている犯罪行為であるが、流石に命を自らの手で奪うことはしない。もっとも、被害者が自殺してしまえば間接的に殺人になってしまうが。しかしそれよりも詐欺を行っているのは政治家という、ジャップをジャップたらしめる諸悪の根源だ。一般市民を貶め、上級國民と自身の保身だけを重視する、人間の姿をした蟲。吐き気を催す邪悪そのものと言っていい程である。悪が巨大すぎると身近な悪が小さく見える。
さて、インターネットは接続できる回線(を契約する金)があれば、あらゆるものを利用することができる。そして大手企業などが提供するインターネットサービスを利用することができる、というのが一般的だ。多くは無料で利用できるものとなるが、一部機能は有料であるほかは全ての機能が利用できるが広告がいずれかの場所に存在し、それが変なところに現れて、色々と不便なことはある。
また、自分のコンテンツを持つ人は広告配信企業と提携して自身のサイトや動画に広告を挟むことができる。最近はストリーミングタイプでも広告を挟むシステムが構築されているため、収益手段は広くなってきている。しかし多くにとって広告は邪魔な存在であると認知があるため、それを回避するための手段が作られる。所謂アドブロックと呼ばれるものだ。
しかし最近、思うことがある。最近の交友関係にストリーミング配信で収益を得ている人がいるが、投げ銭と同時、広告を有効にして収益としている。その広告によってその人の収益になるなら、全ての広告が「悪」とは限らないはずだ、ということを考えたのである。よって今回は交友関係も考慮した、私見の広告論を展開していく。