この記事の概要を簡単まとめ!
- 人間とは醜い存在である
- 人間は簡単に他人を裏切る
- 自分を含めて人間を「信用しない」こと
- 信用しないことは「悪」ではない、「悪」と決め付けることもできない
- 人間を嫌いになる前に「信用する」ことを辞める
今はADHDを身近な人に隠しながら、ただ生きるだけの毎日を送っている。何もなく、何もせずの毎日である。経歴が酷く、何のスキルもない。しかもADHDを抱えている状態で、到底まともな仕事ができるわけもなく、そんな人間はどこに行っても追い返されるだけである。余っている仕事は、「皆が嫌う仕事」か「闇の仕事」しかないだろう。人権も選択権もなくなったも同然である。
それとは別に、よく考えることとして、「人間とは醜い存在である」ということである。他人を簡単に裏切り、権力を持った途端に独裁を始める、エゴイストの塊である。もし神が存在するというのなら、何故そのような人間の屑は消えないのか。存在していれば消えているはずなので、そういう意味では神は信じないし、同時に人間嫌いである。自分のことですら嫌いである。
そんな人間に対しうんざりしまくり、人間嫌いだが、死ぬ勇気も不慮の事故も起きないので割り切って生きなくてはならない。だがこれ以上人間でうんざりさせられるのも癪に感じる。その時分かったのが、「信用しない」で生きれば、何とも思わなくなるので人間を嫌いになることもない、ということである。
ひとっ飛びできる目次
人間は醜い存在
現代の状況から見る人間が醜い理由
現代の状況は、老害にとっての快適、次世代にとっての最悪である。そして世界的には、第二次世界大戦以上に独裁者の多い時代である。
日本最悪の総理であり、権力に固執する、人間の心を持たない現人悪魔、安部晋三。
オバマで立て直したアメリカを再びダメにした不動産だけのリアルジャイアン、ドナルド・トランプ。
典型的な反日煽動で自国民を操り、ひたすら日本を悪く言うことしかできない地球の癌細胞の要因、文在寅。
現存する国家の中で最も危険で最も徹底した社会主義を貫き、自らの権力のために親類まで殺めた危険な「最高指導者」、金正恩。
もはや説明不要、ある意味で人類最強かもしれない男、ウラジーミル・プーチン。
アメリカ・アジア圏だけでもこれほどの独裁者が存在する。こんなのが国家の主導者というのは、人間嫌いもいいところである。しかも過去の経歴や実績から、「信用」の二文字が相応しくないとさえ感じる。
それでありながら、のうのうと生きて、しかも権力を持っているというのだから、本当に人間とは醜い存在であると嫌でも実感させられる。極端な例だが、同時に分かりやすいであろう。
人間は簡単に他人を裏切る
人間の本質はエゴイストである。その本質を抑えて他者に尽くす人もいるが、それはごく少数の悟った人に限られる。性悪説に基づいているので、生まれからの善人は存在しない。
そのため、自分の理想のためなら他者を何とも思わない、寧ろ邪魔者として蹴落とすことも平然と行う。また、その性質から、1人で出来ないことに関しては同盟なり仲間なりで何らかの方法で徒党を組み、それが達成できた時点で追い出すか排除することで、手柄を自分1人のものとする行為も行えてしまう。そこに人間の心はないかのようだ。
そんな人が社会のどこにでも存在する。身近にも存在する。下手をすれば、家族でもそういうことをする可能性がある。崩壊している家庭であると、より有り得る。
そして、簡単に他人を裏切る。その被害に遭う可能性は0ではない。家族でもその危険があるのだから、外の世界ではそれこそ裏切りだらけの世界である。世紀末という表現が似合う。
裏切りが招くもの
裏切る、裏切られると何が起こり、何が発生するのかを考える。
裏切った側は、まず利益や権利・権力や名声を獲得することだろう。裏切ったことは伏せて。罪悪感も発生するが、これは中途半端に良心が残っている場合に起こることである。殆どの場合はその良心がないため、罪悪感は微塵も感じないだろう。つまり、殆どの場合メリットだけである。ただし、裏切りを告発されるリスクがあるが、これは権力や金でねじ伏せられるので、結局メリットしかない。
そして裏切られた側は、それまで共に積み上げてきたものを全て奪われ、努力も全て無に帰すことになる。これに対して、内部告発やオリジナルデータなどを使って対抗することがあると思われる。しかし、悲しいことに現実は勝者の世界であり、大半は後だしだとか負け惜しみとかでまともに取り合ってもらえず、逆に戦犯扱いされることも多い。その結果として「攻撃目標」となり、場合によっては無関係な人間までもが攻撃してくる可能性もある。
ただでさえ裏切りで精神的にやられているところに、味方0人、全員敵となるようなことになれば、人間不信を通り越して人間嫌いになることは十分に有り得る。また、それ以上のこととして、自分の人生を棄ててでも「復讐」する場合がある。海外ドラマでは良くある話であるが。
極端な部分も含むが、裏切りによって発生することは上記のようなことであろう。どう頑張っても、裏切った側はメリットだらけで、裏切られた側はデメリットしかない。それを分かってやっているにしても、魔がさしてやったにしても、やってはいけないことというのが分かるのである。
人間を「信用しない」ということ
さて、これまでの話は導入のための余談に過ぎないのでここで終わりにする。ここまでで、他人を簡単に裏切る人間は「信用出来ない」と感じたであろう。だがそれでも人間を「信用する」ほかないという。ビジネスシーンではやたら「信用」から始まるとか言っているが、その信用は現代において安易にしては危険、というのにである。全く時代に沿ったビジネススタイルになっていないのはいかがなものだろうか。
そうでなくとも、話を進めるには信用が何だとか、意識高い系の見本のようなことばかりが蔓延している。もっとも社会が「健常者」のために作られた世界であるため、「健常者」の視点からは性善説で人間を見ているのだろう。全くもってナンセンスである。
こうして人間を「信用できない」と感じたのなら、人間を「信用しない」生き方をする。人間は裏切ることが前提なら、裏切られても問題ないように、「最初から」信用しないようにするだけである。
他人を信用しないこと、自分も信用しないこと
人間は裏切る。だから信用しない。そして人間は、他人はもちろんのこと、自分も人間である。つまり、信用しない範囲は自分にも及ぶ。そのため、人間たる存在は、誰一人として信用しないということになる。
他人を信用しないこと
他人を信用しないことは、他人に対し常に疑いの念を持ってかかるということであり、距離を置いて接触及び協力関係を築くことである。この間において、自分にとってマイナスとなる情報を明け渡すこと、資金や資源を余剰に渡してしまうことは避ける。裏切られたときのリスクを最小限に抑えるには、重要なことは自分の側に持っておき、必要最小限の情報や物質だけ与えるということである。
これは人間関係を重視する人、人間関係がそのまま仕事に影響するような場合はやりにくいだろう。もっとも、そのような人や仕事についている場合、人間嫌いではなく、人間はいいものと思っているので、無関係な場合が多いと思われる。
自分を信用しないこと
自分を信用しないことは、自分の能力、行動、考え、現在の状態を疑うということである。これだけだとネガティブに聞こえる。信用しないという点ではその通りであるが、信用しないことによるメリットも存在する。
まずは自分を信用しないことで、自分を過信することがなくなる。これは慢心しなくなることに繋がり、万が一の失敗に備えて別の策や手段を準備するようになる。無策にならないのはメリットである。
或いは、現在の状態。特に仕事については、終身雇用崩壊の現代では、企業に勤めていてもいつ「捨て駒」にされるか分かったものではない。したがって、現在の自分の状態を信用しないことで、仕事でスペシャリストになって唯一無二の存在となるか、副業を始めて収入源を増やすなど、どちらかといえば前向きな対策を組むことだろう。新しいことを始める原動力として、これもメリットとなる。
ここまで来て、最終的に自分を信用することができるかどうかであるが、自分も人間である以上、それは無理であろう。しかし、自分を信用しないからこそできることがある。上記に挙げたことは、その例である。
信用しないことは「悪」ではない、「悪」と決め付けることもできない
世間一般は、「信用する」ことを善、「信用しない」ことを悪とする傾向であり、ほぼ決め付けられている。しかし、元来信用するもしないも「個人の意思」で自由である。したがって、信用しないことは悪ではないうえ、悪と決め付けることもできないのである。人と状況によっては、信用しないことが「善」となることが、現代の情勢から言って大いに有り得る。そうしなければいけない時代であるというのも、少々皮肉である。
人間を嫌いになる前に「信用する」ことを辞める
既に裏切られたなどで人間嫌いの人には申し訳ないが、人間嫌いになる原因の1つに裏切りがあるのなら、人間嫌いになる前に「信用する」ことを辞めてしまうといい。信用しない場合、相手に期待もしなくなる。その時に裏切られたとしても、何も感じないだろう。そもそも「何も思っていない」ためである。
つまり、ダメージは最小限である。ある種の自己防衛的な方法であるが、人間嫌いになるよりかはマシだろう。人間嫌いをこじらせると、本当に人間を排除する方向に走ってしまいかねないからである。そうでなくても、人間嫌いに一度なると面倒である。基本的に直らないからである。そもそもの人間嫌いである私が言っても、説得力はないかもしれないが。
以上、人間は醜いが故に信用しないで生きることについてであった。今回はかなりガバガバだが、書き始めてしまった以上、変更しても時間がかかってしまうためである。それでは、次回の記事で会おう。
リンクス岐部(LINKS-KIBE) at 11:00 Nov. 29th, 2019
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