この記事の概要を簡単まとめ!
- KIBEKINの誕生日は7月23日
- 1995年、下手すれば死亡率の高い事件に巻き込まれていた年
- 26歳の誕生日は最悪のゴミンピックと被る
- 誕生日よりもその前後にイベント事がやたら多い?
- 7月23日の運は全て私が持って行った?
- だが結局この26年、何のために生きてきたのかわからない
- しかし料理とブログがある以上、とりあえずは生き続けてみる
- 7月23日=KIBEKIN、を目指して
ジャップは「普通」でいることを昔から強要される。生きているだけで血税を盗られ、金がなくても健康保険料とオワコン年金を払わなければならないという、古来から伝わる制度上の欠陥を晒したまま将来的に何も改善されることもないそれは、生きるのを辛くさせる原因の1つである。一応、オワコン年金については申請により免除が可能となるが、健康保険料は最低でも¥2,000以下だが月額払わなければならないという追い打ち付きである。今の時代、生保すらまともに申請が通らないことが多いので、死が唯一の救いと錯覚するのも理解できる。
ところで、7月23日を以って26歳となった。無駄に26年も生きてしまったことになる。正直、ここまで生きていること自体不思議でしかないのだが、皮肉にも誕生日に上級國民集団の自己満足のためにゴミンピックを強行開催しその開会式と重なるという、誕生日なのにジャップの歴史の汚点の日になってしまった。これについては避けられない運命的なものであるのかもしれない。それとは別に、私の誕生日の前後はやたらイベント事があり、誕生日に被らないタイミングで何かが行われたことが過去に何度もある。その中にはジャップの歴史の分岐点となるものもあった。
7月23日、多くにとって何の変哲もない日であり、特別なことが起きた日なのは非常に直近のゴミンピック以外には存在しない。私にとっては誕生日という以外には特別ではない日。そうだとすれば特別取り沙汰されるようなものではないこれだが、誕生日なので折角なら語ってみるのも面白いと感じたのである。閲覧者にとってはKIBEKINを知る、いい機会であろう。
ブンブンハロー前後にイベント事が多い日、どうもKIBEKINです。
7月23日
KIBEKINの誕生日に過去に起きたこと
1955年7月23日。多くにとって何もない日に、私は生まれた。しかし今となってはほぼ生きる屍のような存在である。社会不適合者でありながら健常者という偽りの仮面を被り、外に出た途端その仮面は見事に剥がれ、生きる意味を失ったような状態で生きている。誕生日を迎えても、私自身は誕生日について何も感じることはなくなっている。
それはさておき、前述の通り7月23日が私の誕生日となるわけだが、この日は最近において特別なことが起きているといったことは殆どないようだ。この日は歴史的には以下のことがある。
- 1867年:薩土盟約締結
- 1894年:日清戦争において日本軍が朝鮮王朝に侵攻
- 1918年:米騒動(前日夜からこの日まで)の始まり
- 1952年:エジプト革命
- 1968年:エル・アル航空426便ハイジャック事件(パレスチナ解放人民戦線によるハイジャック)
- 1973年:ドバイ日航機ハイジャック事件
- 日本赤軍がリビア・ベンガジ空港に着陸させていた日本航空404便を爆破した日である。
- 1983年:スリランカ内戦、タミル・イーラム解放のトラが政府軍を襲撃し13人殺害、スリランカ内戦開始
- 1989年:第15回参議院議員通常選挙。自由民主党が初めて参院の過半数を失った日。歴史は繰り返す…
- 1999年:全日空61便ハイジャック事件。犯人は機長を刺殺後、犯人自身で操縦した。墜落せず死亡者は機長のみ。刺される前にオートパイロットを起動していたため墜落を回避できたという。貴重な機長だった。
- その他、多数のことが起きたようである。
7月23日にやたらハイジャック事件とその事件に動きがあった日が多いのは気のせいなのだろうか。大雑把に挙げると上記のことが発生した日である1)参照:7月23日#できごと – Wikipedia。前半は歴史の授業でよく取り上げられることであるのだが、後半は調べないと出てこない話になっている。ただ、ハイジャック事件はその後の航空業界におけるセキュリティチェックの強化に繋がっているため、どうしてセキュリティがきついのかを調べたときに出てくる可能性はある。
同日の誕生日と忌日
KIBEKINがこの日に生まれたとするなら、年の違う同じ日に生まれた人や亡くなった人もいることであろう。これらについても、名前が通っている人物から数人をピックアップしリスト化する。
- 1959年 生:坂本賀勇(任天堂企画開発本部企画開発部統括) 主な仕事はデザイナーであり、メトロイドシリーズにも参加している。Other M, サムスリターンズ, ドレッド(執筆時点で予定のタイトル)のプロデューサーである。
- 1976年 生:堀江一眞(声優/舞台俳優) 本名は堀江秀尚である。名前だけ聞いてもいまいちパッとしないが、ACVDの財団(人物)を担当している。そのためレイヴン(ミグラント)には聞き覚えのある声だ。
一緒に滅茶苦茶にしようじゃないか。 - 1979年 生:池添謙一(騎手) JRA栗東に所属している。Skyrocket Company(スカロケ)のメインパーソナリティー、マンボウやしろ(元カリカ・家城啓之)がよく話題にしている。そのこともあって池添自身もスカロケを東京に来たときに聴いている。
- 1982年 生:浦川瞬(ゲームセンターCX3代目AD→ディレクター、現在は他番組担当) 福岡県福岡市出身。「1機やらしてもらって、よかですか?」などの名言を生んだ男。天性のゲームセンスを持ち、AD以前のゲーム歴が少なかったのにも関わらず、『高橋名人の冒険島』を28時間でクリアした。地上波は「アウト×デラックス」などを担当。
- 1995年 生:鈴木愛奈(声優/歌手) まさかの同年同日。ただ、詳細は全く知らない。
- ※1916年 没:ウィリアム・ラムゼー(スコットランド 化学者) 貴ガス(2005年まで希ガス)の発見者。自身の名前を詐欺に使われた人でもあった。
割と多かった2)参照:7月23日#誕生日 – Wikipedia。ところで、ここ最近になって聞く名前としてはスカロケを聞いている関係から池添謙一騎手のことで、競馬のコーナーで本部長がよく言っている。それが同日なのはあまり驚かない。GCCX3代目AD浦川の方がある意味で驚きかもしれない。天性のゲームセンスがあるところがなんとなく私に似ている。
ところで私と全くの同年同日に1人いたのだが、残念ながら全く詳細を知らない人物であり、声優で歌手であるが声すら聞いたことがない人である。なので、正直なところコメントのしようがない。知らないものは知らないためだ。
1995年、下手すれば死亡率の高い事件に巻き込まれていた年
ところで1995年、誕生年についても見ていく。すると、死ぬかもしれなかった事件が2つ起きていることが分かった。
1つが、1995年1月17日5時46分52秒、兵庫県淡路島北部沖の明石海峡(N34°35.9′, E135°2.1′, Depth 16km)を震源とするM7.3の兵庫県南部地震が発生した。所謂「阪神・淡路大震災」として知られるこれは、私が生まれる前の話である。これは神の怒りともとれる2011年の東日本大震災に次ぐ大災害である。ただ、これは発生源が兵庫県からちょっと上の方にある海の上であり、その時には母は関東に居たため、影響を受けることはまずなかった。流石に関東まで地震は届かない。しかし兵庫はもちろん大阪・京都とその周辺にも被害が発生していたので、中心地にいなくとも危なかったというのは確実である3)参照:阪神・淡路大震災 – Wikipedia。
もう1つは3月20日に起きたカルト「オウム真理教」によるテロ「地下鉄サリン事件」だ。これも私が生まれる前の話である。これが実行された時間が1995年3月20日の午前8時ごろであり、この日は月曜日で平日、つまり通勤ラッシュ帯に実行されたのである。場所は帝都高速度交通営団(所謂営団地下鉄)○○線丸ノ内線、日比谷線の各2編成、千代田線の1編成の地下鉄車内で、先端の尖った傘で袋に穴をあけてサリンを散布したというのが手口であり有名である。この事件による影響として、乗客・駅員ら14人が死亡4)ただし司法の死者数認定では12人である。これは事件翌日に銭湯で倒れ心筋梗塞で死亡した76歳男性について「サリン中毒死とは言えない」として殺人未遂での起訴となったためである。また2020年3月10日にサリンの後遺症により更に1人が死亡した。これにより実質14人としている。、負傷者は約6,300人となっている。また、日比谷線は運転不可能、霞ヶ関を通る丸ノ内線・千代田線は同駅の臨時通過(終日)を行い、一時的に部分運休した5)参照:地下鉄サリン事件 – Wikipedia。

当時の母は、詳しいことは忘れてしまったのだが東京方面(新橋?)で仕事をしていたらしい。実行された路線及びサリンを処理した駅の関係から、サリンの直接的・間接的被害を受けずに済んだ。また、同日には「地下鉄で騒ぎが起きたらしい」との情報を聞いていたので、現場にいなかったがサリンが散布されたことは耳に入っていた。母が当時その場にいなかったことで、無事にそれでは死なずに済んだということである。
1995年というくくりで見ると、下手すれば死んでいたと言える重大事件が短期間に2件も起きていたのである。その事件に巻き込まれることがなかったのは、母の運か、それとも私自身の運か。或いは、ただいつも通りにしていただけなので巻き込まれることがなかったということなのかもしれない。
26歳の誕生日は最悪のゴミンピックと被る
さて、そんな7月23日であるが、26歳の誕生日は歴史上最悪なものとなってしまった。それは執筆時点での独裁者・安倍晋三の後継者でありながら「二階俊博」のイエスマンである「菅義偉」という痴呆首相とその配下となる、一般国民殺し、歴史上最悪の政党「自由民主党」。そしてその中で特に問題なのが「森喜朗」という老害だ。これらによって、死のコロナウイルス情勢下でありながらさらに「死」を拡大させる、東京ゴミンピック2020(実質+1)を一般国民の感情を無視に強行開催し、その開会式を堂々と行ったためである。ジャップの内実は一部の官僚による独裁国家だった。そして無能なジャップ共は、散々「中止」を騒いでいたくせに結局ゴミンピック中継を観ているという、非国民行為をしている者がSNS上で多く見受けられ、非常に残念であった。お前ら全員上級國民だ。
ゴミ屑無能政府はなんとも酷いタイミングでゴミンピックなんかしてくれたもので、その意味では史上最悪の誕生日になった。もっとも、誕生日を祝う人など元から家族以外にいないので、誰かがSNS上で祝うということは毛頭期待していない。ただし、誕生日であることを利用してゴミンピック批判を行うことはした。自分の誕生日にクソそのものなイベントと被ることほどむかつくことはないためだ。
これから先の7月23日に果たして何が起きるかは、インチキな占い師でなければ未来人でもないのではっきり言って何もわからない。だが、私の予感ではこれ以上に最悪なことは重ならないと見ている。重なるとすれば、海外で何か事件が発生した程度の、あまりジャップ国内ではマニアックすぎて取り上げられないような話で終わることであろう。毎日の出来事の大半がそういうものである。
7月23日vsその前後の日
これは単なる推測に過ぎないのだが、私の誕生日よりもその前後にイベント事がやたら多いのではないか、ということを思ったのである。というのも、1つ確実に憶えていることが、地上波デジタル放送への完全移行の日が私の誕生日の翌日であったということである。何故か1日ずれて完全移行だったので、ある意味でよく覚えていることである。
そこで、7月22日および24日に絞って、何が起きたのかを見ていく。23日と何の差があるだろうか。
7月22日のイベントと誕生日・没日
歴史的に何が起きたか、そして誰が生まれ誰が死んでいったかをリスト化する。ここでは1つのリストにまとめる。
- 1916年:ムーニー事件(アメリカ・サンフランシスコ) デモの最中、官憲の謀略で爆裂弾が破裂し9人死亡、でっち上げで労働運動の指導者トマス・ムーニーらを(冤罪)逮捕した。
- 1918年:米騒動(発端)
- 1934年:ジョン・デリンジャー射殺。FBIから「社会の敵ナンバーワン」に指名されていた彼はFBIによって射殺される。
- 1944年:ブレトン・ウッズ協定の締結(アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズ) USドル基軸の固定為替相場制である。
- 1951年:ソ連が2頭の犬をロケットで打ち上げる。史上初めて大気圏外に出た犬となる。ロシアはソ連時代からやることがクレイジーだ。
- 1954年:キャセイ・パシフィック航空機撃墜事件 中国人民解放軍空軍によってDC-4が攻撃され、南シナ海に墜落した事件。中国は昔から政府や軍がクソである。
- 1962年:マリナー計画 マリナー1号が制御システムに不具合が発生して地上指示により爆破、打ち上げ失敗となった。プログラミングの問題ではなく、仕様そのものが問題だった例。
- 1996年:Yahoo!ニュースのサービス開始
- 1997年:ジャンプで「ONE PIECE」の連載開始。
ジャンプ商法にはうんざりだ。 - 2006年:横浜駅の京急本線ホームが島式1面2線から変則相対式2面2線に変更。
- 2008年:八王子通り魔事件。怖い話
- 2016年:Pokémon GO 日本におけるサービスを開始。しかし全く興味なくてやらなかった。
- 1958年 生:原辰徳(元ジャイアンツ、監督)
あー原辰徳 - 1964年 生:内村光良(芸人/映画監督) 映画監督はちょっと存じ上げない。
- 2013年 生:ジョージ・オブ・ケンブリッジ王子(英国王室) 将来ハゲにならないか心配。
- ※没日者はこれといった人がいなかったため未記載
7月22日は調べてみるとそうでもなかったような印象を受ける6)参照:7月22日 – Wikipedia。もっともそれは私には馴染みがないからかもしれない。殆どは実際、「私には関係ない」で終わってしまうためだ。せいぜい関係ある話があるならPokémon GO程度だが、それですら馬鹿馬鹿しいと思っていた私は結局流行に乗らずにやることもなかったので、一切それにも触れることなくブームも過ぎ、これから先も触れることは決してあり得ない話である。所詮ソシャゲだ、手を出すことはない。
7月24日のイベントと誕生日・没日
次に7月24日についても同じように見ていく。これも1つのリストにまとめる。
- 1907年:第三次日韓協約を締結。内政掌握のための協約である。
- 1929年:不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が発行。WW1後に締結された多国間条約であり、国際紛争の解決手段としての戦争の放棄を行い、紛争は平和的手段により解決することを規定したもの。別名「パリ条約」とも。
- 1943年:WW2, ハンブルク空襲が開始される。英米→独。結果的に5万人以上の死者が出た。
- 1945年:呉軍港空襲。日向、龍鳳大破。
申し訳ないが艦豚はNG。 - 1950年:レッドパージ:GHQが新聞社に共産党員やその同調者を解雇するように勧告。赤狩りのことである。
- 1964年:ウッドリバー臨界事故(アメリカ・ロードアイランド州) ウラン回収施設で臨界が発生し、作業員が450Sv以上を被曝して死亡。
- 1969年:アポロ11号が地球に帰還。
- 1972年:四日市ぜんそく訴訟で津地方裁判所が原告勝訴の判決を下す。
- 1974年:ウォーターゲート事件 ニクソン大統領と首席補佐官の録音テープの引き渡しを大統領側に命じる判決を出す。
- 1985年:熊本母娘殺害事件が発生(熊本県上益城郡甲佐町)。加害者の男は死刑執行済み。
- 2001年:スリランカ内戦、バンダラナイケ国際空港襲撃事件。タミル・イーラム解放のトラがスリランカ空軍の基地とそれに隣接するバンダラナイケ国際空港を襲撃した。
- 2008年:岩手県沿岸北部地震が発生。青森県八戸市などで最大震度6弱を観測。この頃から予兆はあった可能性。
- 2010年:石川県珠洲市が先行して地デジ完全移行。また、フィリピン・ミンダナオ島でM7クラスの深発地震が3回発生する。最大規模は6時51分のM7.8。これも予兆か。
- 2011年:福島、宮城、岩手を除き、地デジ完全移行。
- 2012年:日本における移動体通信用800MHzの再編を完了。
- 2014年:アルジェリア航空5017便墜落事故 原因は着氷とヒューマンエラー(Air Crash Investigation(動画) V1→「回転」の誤訳回でお馴染み)。
- 2020年:体育の日がスポーツの日に改名し、この年のみこの日に移動する。ゴミンピックのための無理矢理な処理。
- 1961年 生:北爪宏幸(アニメーター/漫画家) ガンダムシリーズに参加しているアニメーターであり、漫画家である。Z, ZZ, 逆シャアに作画監督として参加し、ガンダムエース連載漫画および単行本に「機動戦士ガンダム C.D.A. 若き彗星の肖像」「機動戦士Zガンダム Define」がある。
- 1961年 生:今川泰宏(アニメーション監督) かつてZで絵コンテと演出を担当していた。機動武闘伝Gガンダムの総監督を務めた。実は熱烈なスタートレックファン。
- 1970年 生:兵頭大樹(芸人/矢野・兵頭) 吉本所属の矢野・兵頭のボケ担当。現在は「実話怪談倶楽部」MCとして有名。
- 1980年 生:森勇介(元サッカー選手) 技能面で非常に優秀な選手であるが、どのクラブでも警告や退場が多かったため数々移籍している。2005~2010に川崎Fに所属し、そこでも多くの警告・退場・暴力行為を見せるも、クラブもサポーターも見捨てずに応援し続けていた。評価は仲間のために身体が動く「熱い漢」である。現在は東京ヴェルディジュニアユースコーチとして指導している。
- 1927年 没:芥川龍之介(1892年 生) 日本を代表する有名な小説家。説明は不要な程である。
7月24日は22日と比較すると非常にイベント事(事件)が多く、誕生日の人物も私が知っている人が意外にも多かったのである7)参照:7月24日 – Wikipedia。ガンダム関係の人物や、かつては謙虚だった川崎F(現在は傲慢な集金サッカーチーム)の選手として有名だった森勇介など、これらは私にはなじみの深いものである。それにしても航空機はいつになっても墜落している。
それとは別に、2011年の神の怒りの大地震の予兆と思われる大きめの地震が発生していたことを確認できた。これらが果たして直接原因となったかは不明であるが、結局のところジャップは地球上で自然災害を受けやすい場所にあることから、いずれにしても避けられないものであったのだろう。自然災害を受けるとき電子機器はまともに動かなくなりがちであるので、完全電子化するには地下に行くしかないかもしれない。
7月23日の運は全て私が持って行った?
22~24日までの出来事や誕生日・没日について、全てではないが見てきた。全ての出来事を見たい場合にはWikipediaを参照してもらうとして、これら3日をそれぞれ比較する。すると、個人的には23日にイベント事は少なく、その前後の日の方が多いように思える。そして今年のゴミンピックで7月23日はクソな日になってしまったのである。
その時に言われたのが、私が生まれたことによって1995年の時点で「7月23日」の運を全て吸い取ってしまったのではないか、ということだ。ここで、よくわからない同年同日生まれの人物については考えないものとする。果たしてそれが事実であるというのであれば、7月23日に大してイベント事が起きなかったり、ゴミンピックが被った理由にはなり得るであろう。だとしたら私は悪魔か何かか。
ただ、当然ながらこれは無根拠の仮説でしかなく、それを実証する術もないというもの。もちろん私はただのブログクリエイターであるので、特別な力を持っているとか、才能があるとかは全くない。したがって、この説はただのお遊びである。
だが結局この26年、何のために生きてきたのかわからない
しかし、ブログクリエイターと言っても収入は非常に不安定であり、1週間に1本は書き上げている私でも、1日の収入は最悪で1桁、最高でも200円を超えないレベルである。そして閲覧者の数も不安定であり、現在は100人を下回らないものの、悪いときは110人程度、良くても180人程度であり、そのうちのクリック数は0か、良くて1~2程度である。しかもクリックされたところで、成果が薄い場合がある。名前もまだ「無名」に等しい以上、閲覧数が少ないことは結果にならないことに同じである。一応SNSで宣伝はしているが、残念なことに全国無関心時代では宣伝は効果が殆どないのである。
そして私は、この26年、一体何のために生きてきたのかわからない。どうにも人生を無駄に生きてしまっているのと、これから先を生きる術が全くないためである。まっとうな社会保障も期待できない現在のジャップであれば、認可の降りにくい社会保障を申請するよりも不可抗力な事故によって不幸にも「死亡」してしまわないかということを期待する私がいる。だが来世が存在するとは思っていないのと、来世があったとして「また苦しむ」のは御免である。生きるとは、即ち拷問だ。
だがこう偉そうに語っていても、実のところ「死」についてはどうしても恐怖心を拭うことはできず、死ぬ勇気がなければ覚悟もできていない。私はできもしないことを語る能無しになってしまっているのである。このことについての解決策は、現実には存在しないであろう。
しかし料理とブログがある以上、とりあえずは生き続けてみる
ならばと開き直ることも、クソまみれの人生を生きるには必要なことだ。現在私ができることを挙げるのなら、まずはこのブログであり、次に料理だ。ブログはとりあえず生きている間は描き続けることとして、料理に関しては日々研究と仮説と実証であり、これができる間はとりあえず惰性でも生き続けようとは考えている。それらができなくなった時が、私の潮時である。指標としては実に分かりやすい。
さて、そうは言っても上手くいく方法なんてものは私は知らないのと、世間一般に出されている「ノウハウ」は往々にして詐欺の温床であることが殆どのため、全ては自己満分析と完全に独自の方法を確立し、それを実行するのみである。独自の方法は1つだけでなく、複数作っていくとより強固なものができる。現段階では独自の方法は1つは確実にできているので、1つずつゆっくり確立していければいいものとなるであろう。
7月23日=KIBEKIN、を目指して
7月23日。私KIBEKINの誕生日でありながら、直近はゴミンピックと被るという有様である。多くにとって何でもない日であり、ゴミンピックが重なったとはいえ、これも時が過ぎれば多くの人は記憶の片隅に消える。しかし歴史上の汚点として永遠に語り継がれることは確実だ。無能ジャップ政府共め、私の誕生日になんてことをしてくれたのか。
ところで、7月23日について、ゴミンピック以外でその日が特別語られることはない。国家単位の出来事がそこにはないためであろう。したがって、現段階では7月23日は何の日でもないということになる。また、誕生日についても誰かが特段に取り上げられる日ということでもないので、誰の日でもない。歴史上の人物についても取り上げられることが殆どないようだ。
これは酷い妄想で半ば実現不可能な話になるのだが、現状7月23日が何もない日なら、いっそのこと私の日にしてしまいたいというものである。それくらいの夢を持って生きるのも悪くない話だ。夢は叶わぬことを前提に、持っていたり語ったりする分には無料であるからだ。だが「夢で終わらせない」のは、バイオハザードだけで十分である。
以上、7月23日:KIBEKIN誕生日をKIBEKINが語る、であった。それでは、次回の記事で会おう。ン、バァーイ!
KIBEKIN at 00:23 Jul. 27th, 2021
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脚注
本文へ1 | 参照:7月23日#できごと – Wikipedia |
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本文へ2 | 参照:7月23日#誕生日 – Wikipedia |
本文へ3 | 参照:阪神・淡路大震災 – Wikipedia |
本文へ4 | ただし司法の死者数認定では12人である。これは事件翌日に銭湯で倒れ心筋梗塞で死亡した76歳男性について「サリン中毒死とは言えない」として殺人未遂での起訴となったためである。また2020年3月10日にサリンの後遺症により更に1人が死亡した。これにより実質14人としている。 |
本文へ5 | 参照:地下鉄サリン事件 – Wikipedia |
本文へ6 | 参照:7月22日 – Wikipedia |
本文へ7 | 参照:7月24日 – Wikipedia |