まとめとかないです。所謂雑記分類。「死」に関して書いているので精神的にきつい状況では見ないこと。
ひとっ飛びできる目次
生と死
「生きている」と分かった日
生きることはある意味で永遠の人類のテーマであるように思う。その生きることも、いつまで生きるのか、あるいはある特定の時期まで生きるのか、目的や使命を果たすまでなのか。生きるということを考えだすとその意味は多種多様過ぎて、答えは1つにまとまることがない。そのうちに考えすぎて頭痛がしてくるであろう。
一般的に生きる、生きていると認識されるのは、赤ちゃんとして誕生し、身体機能のうち脳または心臓が停止するまでの間であろう。私の場合は、自分の中で思い出すことのできる最も古い記憶からであると考えている。その記憶が、幼稚園に入園する直前に家で駄々をこねていた時である。何故かそれだけは鮮明に憶えていて、そこからは過ごした日々を断片的に憶えている。その日が「生きている」と初めて分かった日であった。
逆にその記憶以前のことは、全くわからない。話によれば、何故か薬缶のお湯をぶちまけて火傷をした、左手で何も知らずに剃刀で割と深い傷を作ったといったことをしていたらしい。だがそんな怪我をしたという記憶は本当に憶えておらず、痛みなども感じていたかすらわからないほど、何も残っていない。ただ剃刀の傷に関しては今も鮮明に残っているので、そういうことが本当にあったという事実だけが分かっている。
俗に言う「変人」の苦労
変人は子供の頃から変人であるというのは、あながち間違いではないと考えている。そしてそれは私のことでもある。明確に思い出すことができないのだが、大学まではとにかく「普通ではない」ということが多かったらしく、悪く言えば問題児そのものだったようだ。その頃はまだ順応や統率を重視していた時代で、自由という言葉の欠片もないような時代であったため、周りから白い眼で見られるのは当然のことで、学校には居場所はなかった。
変人という存在がある程度許容される大学でも、私はどちらかといえば悪い方の変人だった。だが高校までの酷い有様からすればまだマシだった。まだ大学という場所・属性によって、多少なりとも私とは似たような人はいた。もっとも、それはあくまでも本格的な研究をするまでの話である。学部4年は研究室でPCと向き合いながら過ごしていた日々であり、そして卒業すれば殆どはそれぞれの道を歩むために、皆散っていくのがいつものことである。
一億総奴隷社会を目指している衰退国家ジャップにおいては、9割が社畜、1割が大学院で更なる研究を行う。私は前者だったが、これが今思えば間違いだったように思える。社畜とは根っからの「普通」のみが適合する生活スタイルの1つであり、私はどう考えても「普通」ではない。「普通」に擬態こそできるがどう頑張っても「変人」を消すことはできず、組織に適合することはできなかった。その結果、新卒3年説よりも圧倒的に短い3ヶ月で最初の企業を辞めると、後に2回他の企業に行くもそれは私に合わない企業だったことで、総計4ヶ月で社畜不適合=社会不適合が証明された。元より変人は社会不適合者と同義なのではないかと、その時は強く思ったものである。
事実上の無職
文章を書くということは、実は大学生の頃から少しだけやっていた。その頃はまだ本格的にやる予定ではなかったので、適当なサービスに登録して書いていた程度である。その文章は決して今のような綺麗なものではなく、ただシンプルに思ったことを書くだけのもので、「ブログ初心者」と呼ぶにふさわしいものであった。その時のものはおそらく探せばきっと残っているのかもしれないが、しかし私としては忘れたい過去でもある。自分から積極的に見ようとは思わない。
大学に居た頃は他に忙しいこともあって殆ど手付かずの状態でこそあったが、失敗社畜が始まってからはその気持ちを吐露する場所として、割と多い回数を書いていた。この時は長さを重要視しなかったこともあって、その分を数でこなしていたという立ち回りである。自分でも案外書けるものだなとは、その時に思った。その後は最後の社畜で偽「普通」を演じている間に現在のWordPressへの移行準備としてXserverを契約し、独自ドメインを取得して運用を開始した。そのすぐ後で事実上の解雇となり、私に残ったのはそれだけになった。
その時から私はブログクリエイターという肩書きを造った。ブロガーではないのは、ERをつけただけのもの嫌いだったのと、当時もブロガーに対する悪いイメージを聞いていたため、それを回避するための策として思いついたものである。だが当然のことながら、それで生計が立てられるような状態ではないまま始めたので、単なる趣味レベルの、寧ろサーバ代で赤字となる生活が始まったわけである。その状態は今も続いており、結局私は大層な御託を並べたとしても、事実上の「無職」でしかないのである。
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私は死んだようなもの
ブログクリエイターだが事実上の無職となり、大分類すれば「引きこもり」に数えられるようになった私。社畜解雇直前には精神科にも行っていたのだが、出費がかさむことと、どうせADHDではないと思って辞めてしまったので、外に出ることは全くなくなった。その少し後、2020年になったときに死のコロナウイルスが始まったことは誰もが憶えていることである。既に引きこもりだったこともあってその際の影響は全くなかったのが私にとって幸運であり皮肉である。
別記事ではその頃から料理の腕がいきなり急速に上達して、現在はパスタをメインに様々な料理を作れるようになったことを書いている。しかしそれがあったとしても、死のコロナウイルスとなった状況下では実店舗型の飲食店など実質不可能である。ましてやそれ以外の分野においても廃業や赤字を強いられている状況で、果たして新規に飲食店をしたとして成功するとは到底思えない。そして長らく引きこもっていれば、もはやアルバイトすら不可能になる。
そうなれば私はもう死んだようなものだ。本当のところはとっととこの不釣り合いな人生から退場したいのだが、だが死ぬ勇気は残念ながら持ち合わせていない。「家」という牢獄で終身刑の判決を受け、シンプルに寿命か、あるいは病気や不慮の事故で死ぬまでそこで一生を過ごさなければならないという、生きるにしても死ぬにしてもどちらを選択しても苦しか存在しない状態にいる。
「緩やかな自殺」
人間は生まれながらにして「死刑宣告」を受ける
これを語ると哲学的であったり宗教的であったりするのであまり好きではないのだが、人間は生まれながらにして「死刑宣告」を受けるものだと考えている。始まりがあるものはいずれ終わりがあるのと同じで、人間を含めたすべての生物は、生のその瞬間から死へのカウントダウンが始まる。これは原則として不可逆かつ回避不能な自然現象である。とはいえ生まれたばかりの赤子が果たしてそのことを認知できるはずはなく、通常は回避不能なそれについて考えることはないはずだ。
だが死刑宣告を受けたとしても、具体的な死刑執行の日は示されていない。そのため一般論的に言えばだいたい80年後に死刑執行となるものと考えられる。それが俗に言う「寿命」である。それをそのままにするか、短くするか、長くするか。これは各々の初期ステータスで9割が決定し、残りの0.9割が行動によって変動し、0.1割が運に左右されるものになる。所謂親ガチャというもので、この話題はあまりいい顔をされないものであるが、あながち間違いではないと考えている。成人を迎えられない子供がいる(世界単位)ということからも、これが言えるはずだ。
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「居場所」のなくなる無能
さて、普通であることを強制される現代において、普通ができない人は多くの場所で除外される存在となる。その場合のその人の評価は「無能」ということで一致するものと考えられる。ただしこの評価がある特定の場所でのみ行われたものである場合は軽率な判断となるが。もっとも、無能と言われて要らない人として追い出された人は、別の場所でも同じようなことを言われることが多いようにも思われる。
何度も同じように無能と判断されていけば、自分が無能であることを自覚するようになり、それを学習するだろう。それが連続すれば、自分は何をやってもできないと思い込むようになり、学習性無力感と同様の現象で最終的に何もしなくなると考えられる。その状態は引きこもりそのものと言えるはずだ。そして引きこもりは多くの場合受け入れられるものではなく、それが「どこにも居場所がない」状態を作り出すようになる。「居場所」がないゆえに探そうとしても、無能であることを自覚・理解しているためにどうすることもできずにただ止まっていることしかできないという、負の循環がそこにあるように思える。
生きている限り「搾取される」構図
現代では生きている限り、クソみたいに搾取される。これが「生きているだけでペナルティ」の本題である。搾取という意味ではクソジャップもアメリカも中国もロシアも北朝鮮も同じことが行われているので、国家間でおそらく大差はないだろう。だが国家自体はもちろん「人間としての心」も両方極貧なジャップにおいては、「弱きを挫き強きを助ける」という道徳的に真逆の方針が暗に存在している。
これが意味するところは、例え物理的・精神的に弱っている人からも、盗れる物は全て盗るという人間的にも国家的にも卑しいさまを現わしている。特に上級國民は一般国民を奴隷にしか思っていないため、消費税というクソ税システムがたとえ不況で経済的負担が大きくなったとして下げようとしないというところはまさしくそれだ。ほか、大企業への忖度的税優遇やクソ無能議員どもが常に有利になるような法制度改悪など、挙げればきりがない程に酷いものである。
死ぬのが怖くて
表向きのブログクリエイターでも、明日を生きるくらいの金を稼ぐことすらできない状況は何もしていない引きこもりと同義な存在に思う。そこに「生きているだけでペナルティ」を食らえば、それは果たして生きていると言えるだろうか。私は死んでいるも同然だと考える。
ここで、搾取しようにも何も持っていないという場合は、殆どの場合でそれを誰かが肩代わりすることになる。それは往々にして家族であることが多い。自分の代わりに搾取され、それが負担になっていることは引きこもり経験者なら痛いほど理解していることである。このことに負い目を感じて、しかし今の自分の状態、動こうにもどうしたらいいかわからない、今更動いたところで何も変わらないという思考と事実が、引きこもりのままで居る理由になるだろう。
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中には負担をかけていることについて自責の念を感じ、「自分が死ねば解決する」ということで死ぬことを考えるというのも少なくない。あるいは今の引きこもりの状況が苦しく、しかしもうどうにもならないことを学習性無力感によって固定化されている結果として死ぬことを考え、自殺の妄想や実際にするかどうかに関わらず計画したという人は多い。このうち実際に自殺「未遂」をした人もいるはずで、しかし殆どは実際にはしなかったということが多いのではないだろか。その理由は多岐だが、特に死んだ後が分からないとか、死ぬ勇気がないとか、苦しいや痛いのが嫌ということが挙げられる。
これは私もそうである。これまで何度も計画や妄想はしたが、実際にはやることはある1回を除いてなかった。それは前述のことを私も思ったからで、やはり怖かった。死んだ後の恐怖というものが分からない、死ぬまでの苦しい過程を想像したら手が止まってしまったということである。そしてその1回についても、かつて失敗社畜時で一人である場所にいたとき、「本気であって本気ではない」ような形でやったために、ただ苦しい思いをしただけで終わった。今思えば、「普通」に擬態し嘘をつき続けていた私に対する私からの「限界」を伝えるメッセージだったようにも思える。そういうわけで、結局死ぬことができずに今も生きている。
死ぬ勇気がなくて生きているから
私は結局小心者の意気地なしだった。昔からその性格は変わらず、変わったと思っていたのは、無意識に自分に嘘をついていたからだった。根本的な性格、生まれ持った性質、それはどうやっても変えることはできない。したがって自分が所謂「変人」に分類されるのなら、それを受け入れて「変人」のルートを歩むべきだったと、その後悔が強い。
今も常に「死にたい気持ち」を抱えて生きている。その気持ちは波のように不安定で、全く現れない状態と顕著な状態を繰り返している。波は綺麗な正弦波ではなく、比率で言えば全くないと死にたいでおおよそ2:8の割合で動いているような感覚である。それと関係があるかはわからないが、睡眠時間が不安定であり、全く寝れないことと寝すぎることを両方経験しているので、精神的な部分に何かしら作用しているのであろう。とはいえ私自身は医者ではなく、今更精神科に行ったところで「失ったもの」は取り戻すことはできないだろう。もう過ぎてしまったことだ。
そして死にたい気持ちがあっても、死ぬ勇気がない。そうだから、生きるしかない。消極的選択としての「生きる」である。死んだような人生に、老衰かあるいは大災害や不慮の事故に巻き込まれて死ぬことに淡い期待を寄せつつも、いざそれが起きたときはきっと本能が死を避けるような気がしている。自分の想いと無意識が相反する行動をする、そんな毎日を過ごしながら。
私は死に向かって、「緩やかな自殺」を続けている。
KIBEKIN at 00:00 Feb. 7th, 2024
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