この記事の概要を簡単まとめ!
- 赤い電車でお馴染みの関東私鉄大手、京浜急行電鉄
- 京急の象徴、主力車両「新1000形」
- 2次車まではシーメンスGTOを採用した名(鳴)車
- 3次車以降の新造新1000形は「歌わない」車両となる
- 機器更新で「歌わなくなる」新1000形、最後の編成「1033」
- 1033編成も更新決定、シーメンスGTOは全て消滅することになる
- 更新に合わせ「さよならドレミファインバータ♪」イベントを実施
- 2021年7月18日にイベントで走らせ、7月10日に京急蒲田で記念切符を発売
- 鉄道の歴史に刻まれた1ページ、そして新しい歴史の始まり
- 余談:Train Simulatorで歌い続ける
ひとっ飛びできる目次
ブンブンハロー京急新1000形1033編成、どうもKIBEKINです。
関東私鉄大手、京浜急行電鉄
京急の概要
日本の鉄道、特に関東圏の私鉄で特殊な存在を放つ私鉄が存在する。赤を基調とした、神奈川の三浦半島・横須賀から東京・品川(と泉岳寺)と羽田空港まで走る、京浜急行電鉄だ。現在でこそ、東京都交通局(1号浅草線)、京成電鉄とさらには北総鉄道と直通し、最長は成田空港まで行く鉄道となった。だが京急の始まりは、川崎から川崎大師を結ぶ小さな鉄道線であった。さて、ここからは京急の軽い歴史勉強である。
京急の始まりは1898年2月25日、横浜から川崎町を経て大師河原町に至る横浜電気鉄道と、川崎町から川崎大師を結ぶ川崎電気鉄道の建設がそれぞれ計画され、その2社が合併して資本金98,000円で「大師電気鉄道株式会社」を創立。翌1月21日に大師縁日を期して営業を開始したのが始まりである。京急は歴史上、日本で3番目1)最古が京都市電、2番目が名古屋電気鉄道(≠名鉄)であるが、これらはいずれも全線廃止となっている。したがって、京急が実質的に現存する日本で最古の電気鉄道会社になる。、関東で最古の電気鉄道会社となる。ちなみに、創立時に安田財閥の人的・資金援助があったため現在も芙蓉グループの一員である。1899年4月25日、社名を京浜電気鉄道と改めた。
当時は六郷橋~大師の2.0km、車両数5両、最高速度13km/h、従業員数17人、営業時間午前7時~午後8時、電車運賃は六郷橋-大師間並等5銭、上等10銭というものであった。その後は1899年11月に複線化される。以降の開通または廃止や直通は次の順で行われた。
- 1904年5月8日 海岸~品川(八ツ山橋)が開通
- 1905年12月24日 川崎~神奈川間が開通 これにより京浜間の連絡が実現する
- 1929年6月22日 神奈川~横浜(仮)が開通 横浜(仮)は月見橋にあたる
- 1930年2月5日 横浜(仮)~横浜が開通
- 1930年4月1日 湘南電気鉄道の黄金町~浦賀、金沢八景(六浦荘)~湘南逗子が開通 湘南逗子は後に新逗子、そして現在の逗子・葉山になる
- 1931年12月26日 横浜~黄金町が開通。湘南電気鉄道と連絡線が完成し、横浜~浦賀の直通運転を開始
- 1933年4月1日 品川~浦賀の直通運転を開始
- 1942年12月1日 横須賀堀ノ内(堀之内)~久里浜(仮)(京急久里浜)が開通 この時は大東急となっていた
- 1944年6月1日 川崎大師~産業道路(現:大師橋)が開通、10月1日 産業道路~入江崎が開通
- 1945年1月7日 入江崎~桜本が開通
- 1948年6月1日 東急から分離し、京浜急行電鉄株式会社を発足。本社を高輪に置く。資本金1億円
- 1948年7月3日 逗子線、湘南逗子~逗子海岸が開通。なお両駅とも現在の逗子・葉山である
- 1952年1月1日 大師線、塩浜~桜本間を川崎市(かつての市電)へ譲渡(つまり廃止)
- 1956年4月20日 穴守線、穴守稲荷駅~羽田空港駅間(旧)が開業 穴守線は1963年11月1日に空港線に改称
- 1963年11月1日 京浜久里浜~野比(現:YRP野比)が開通
- 1966年3月27日 野比~津久井浜が開通、7月7日 津久井浜~三浦海岸が開通
- 1968年6月21日 品川~泉岳寺が開通。都営1号線(都営浅草線)と直通運転を開始
- 1975年4月26日 三浦海岸~三崎口が開通。久里浜線が全線開通となる
- 1985年3月2日 「京浜逗子」と「逗子海岸」を統合、「新逗子」に駅名改称
- 1991年3月31日 京急線、都営浅草線、京成線、北総・公団線による4線連絡運転開始
- 1993年4月1日 空港線、穴守稲荷~羽田(現:天空橋)が開通。初代羽田空港駅を廃止
- 1998年11月18日 空港線延伸第2期工事完了に伴い、羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)を開業、「羽田」を「天空橋」に駅名改称。これにより、現在の営業区間が全線開通となる
- 2005年10月7日 久里浜線延伸区間「三崎口~油壺(仮称)間」の免許一旦取り下げ(延伸計画は以前から存在していた)
- ※2012年10月21日 京急蒲田の上下線高架化完了。着工開始はかなり前(30年程前から?時間かかりすぎ)
長くなりすぎたが、京急の歴史概要はこのようになっている2)参照1:創業期 | 京急歴史館 | 京浜急行電鉄(KEIKYU) これは1ページ目。それぞれの時期で区分され、合計7ページ用意されている。3)参照2:京浜急行電鉄 – Wikipedia。詳しい詳細は京急公式ページから確認することができる。
京急の象徴、主力車両「新1000形」
京急の車両は、それだけでも話題が尽きないほどに特徴のある車両が多い。現存する車両の製造順で行くと、1985年3月25日に1500形、1990年10月5日に1500形1700番台(VVVF)、1994年3月29日に600形(3代目)、1998年3月28日に2100形、そして2002年2月、京急の象徴であり主力車両となる2代目1000形、通称「新1000形」のアルミ車が登場する。これは5次車までアルミ車体、6次車以降はステンレス車体とする、京急で最もパワーがあり列車種別は何でもこなせてどこまでも行ける、最強クラスの電車である。
新1000形は、デザインが車両上の先輩にあたる600形および2100形の外見をほぼそのままに、内装は通勤に考慮してロングシートを基本とし、車端部(連結部や運転席側)に補助いす付きのクロスシートで構成されている。編成はアルミ車のみ製造時8両および4両編成固定で、1次車のみ8両編成1本と4両編成1本の組み換えで6両編成2本が可能な機器構成となっていた(2次車以降なし)。ステンレス車も10次車までは8両および4両固定で製造されていたが、11次車からはかつて京急に存在した6両編成固定・普通運用のみの800形を置き換える目的で6両編成も製造されるようになった。したがって、京急線内では新1000形はアルミ車・ステンレス車を問わず、見る機会の多い車両となる。
ちなみに、ステンレス車のうち4両編成は全電動車(つまり4M0T)という構成にされている。京急は京急線内をラッシュ帯などに12両編成にして運用するのだが、これに新1000形ステンレス車(4両編成)が選択されることがある。この場合は3編成を連結して運用することになるのだが、その際の構成は必然的に12両全てが電動車(12M0T)となる。この結果、とんでもない加速力を得ることになり、変電所が壊れるかもしれない変態加速を見せつける。そのためステンレス車は別の意味で恐れられている。
2次車まではシーメンスGTOを採用した名(鳴)車
さて、新1000形もステンレス車についてちょっと余談を紹介したが、それ以外に何も特徴がなければただの京急の車両形式の1つで終わり、これ以上紹介することもない。1つの記事にするからには、特徴が存在する。それは2次車までの編成に使用されている機器にある。
ドイツ・バイエルン州ミュンヘンに存在する企業、シーメンス。ここが開発したGTO-VVVFインバータは、誰が考えたか知らないが、ノイズの代わりに音階が鳴るようにできている。通称「ドレミファインバータ」と呼ばれるこれを、新造時の2100形全車と2次車までの新1000形に導入している4)京急のイメージからドレミファインバータが最初に導入されたのが2100形だと思いがちだが、実際はJR東日本E501系の方が早い。E501系は1995年から製造している。。この特徴的なインバータ音を持つ新1000形、最高クラスの車両性能を持ち、同時にあらゆる種別もこなす万能車両として、多くの鉄道ファンの人気を得ている。新1000形は京急線内に留まらず、都営浅草線、京成線、成田スカイアクセス線のいずれの路線にも直通するため、見れる機会は意外と多い。ちなみにステンレス車の一部が機器構成の関係から京成から出禁を受けていて、2020年になってようやく入れるようになったという。
ドレミファインバータについては、実際に音を聞いた方が早いので、かなり前の映像だがそれをここに掲載する。
撮影日時は2013年6月25日、場所は三田(A08)、1017編成である。1017編成は既に機器更新によって歌わなくなっている。いきなりのフルノッチで加速しているが、これはおそらく、三田なので乗務員は都営浅草線=東京都交通局のためであろう。京急とは勝手が違うものと思われる。なお、加速度については公式データで3.5km/h/sとなっていて、高速域でも加速度は高めであり、120km/h到達までそうそうかからない。だが京急線内では全線C-ATSの採用によって120km/hを発揮できる区間は限定されているので、新1000形の本気を見れる機会は少ないであろう。
ちなみに余談であるが、正確な音階については英語表記で”F-G-A-Bb-C-D-Eb-F-G”になる。とはいえ、これを意識して聞く人は殆どいないので、雑学程度の認識で問題ない。
3次車以降の新造新1000形は「歌わない」車両となる
前項で「2次車まで」としているので察しのいい人はわかるほか、新1000形の情報を調査している人であれば知っているが、3次車以降の新1000形は新造時のモーターを、メーカーこそシーメンスだがGTO-VVVFからIGBT-VVVFに変更している。したがって新造時から既に「歌わない」ことが確定しており、歌う車両は8両編成5本、4両編成4本の合計64両、うち電動車は編成中半分(4M4Tまたは2M2T)のため32両のみ歌う車両であった。4両編成については普通運用または大師線のいずれかで見ることができた。
では3次車以降で何が変わったのかというと、3~5次車はMT比を8両編成で6M2T、4両編成で3M1T(つまり3:1)に変更し、互換性を保つために出力は190kWのままにしている。またこの頃から保安装置が従来の1号型ATS5)かつて京急、都営浅草線で使用され、現在は京成・北総・芝山・新京成で使用されているATS。交流50Hzの軌道電流をレールに流し、これを特定の時間遮断することによって速度照査を行っていた。 参照:自動列車停止装置#1号型自動列車停止装置(1号型ATS)- WikipediaからC-ATS6)京急、都営浅草線全線と京成・北総・芝山(予定)・新京成の一部区間で使用されている、1号型ATSに代わるATS。Common=共通, Continuous=連続, Control=速度制御、の3つのCから命名されている。信号伝送がデジタル方式になったことで、より詳細な速度照査を可能にした。特にカーブに対する速度照査や絶対停止機能の搭載が可能となり、独自の速度照査も加えられ、1号型ATSと比較して安全性の向上が実現した。しかしこれによって京急の120km/h運転できる区間が少なくなったのも事実である。 参照:自動列車停止装置#C-ATS – Wikipediaへ更新され始めていて、新造時からC-ATS対応装置を搭載している。また、4次車からはフルカラーLEDが本格採用された。
6次車からはステンレス車となり、ただし前頭部(電車の顔にあたる部分)のみ普通鋼製で新1000形の「顔」に関してはそのまま維持されている。”1000″のワイパーカバーはなくなってそのまま”1000″と書かれるようになった。またステンレス車から使用機器を海外製から日本製に変更し、編成内の機器構成も変更している。なお8連は三菱電機、4連・6連は東洋電機のインバータを搭載し、主電動機は三菱電機を搭載している。日本製の方が保守やコスト面で楽なのは言うまでもないことで、モーター関連の技術レベルも上がっていることから採用した方がいいのは言うまでもないことだ。また、モーター特有の「ノイズ」についてもかなり抑えることができているので、音階にしてごまかす必要もなくなった。同時に、音の鳴るモーターがなくなっていくことも意味しており、新1000形は時代が進むと歌わなくなったのだった。
シーメンスGTO、1033編成のラストコンサート
2100形から続くシーメンスGTO採用車両。しかし導入時期はかなり古く、新1000形の最初の編成の製造から18年以上が経過すれば車体は勿論電機部品も傷んでいく。したがって定期的に検査し、車体が限界なら廃車、電機部品が限界なら機器更新という形で対応していく。幸いにも新1000形は(事故に巻き込まれたなどを除いて)車体持ちは良く、かなり長持ちしている7)2019年9月5日、1137編成(ステンレス車)が神奈川新町付近の踏切でトラックと衝突する火災事故を起こし、損傷が激しいため2020年3月15日付で廃車。この編成は10次車で2010年6月竣工であり、10年持たずに新1000形初の廃車となった。。そのため、電機部品の取り換えによってその後も使われ続けるわけだが、その時の機器更新によってインバータおよび主電動機が変わっている。そして執筆時点では1033編成のみ、インバータおよび主電動機はシーメンスのままである。そんな1033編成も、機器更新が近付いていた。
最後のシーメンスGTO、1033編成
新1000形でシーメンスGTOを採用している1次車・2次車。これらは製造から15年経過、つまり2017年になって車体更新工事・機器更新工事の対象となり、1次車からこれが行われることになった。最初に更新の対象となったのがトップナンバーである1001編成で、2017年9月17日に更新完了、翌日に営業運転を開始している。この際に国内製の機器に全て更新されているため、歌わなくなった。これは順次行われていて、2021年4月時点では殆どの編成が更新を完了していた。その中で未だに更新されていなかったのが、最後に製造された1033編成だ。
1033編成は2003年6月竣工の川崎重工業製である。現時点で既に15年以上経過しているのだが、まだ使えていたのであろう、機器更新は行われずにずっとシーメンスGTOであった。他の編成が更新され歌わなくなる中で生き残っていたこれも、いつ歌わなくなるかわからない状況であった。そのため、なくなる前に乗っておこう、収録しておこうという人は一定数いたようだ。
更新に合わせ「さよならドレミファインバータ♪」イベントを実施
そんな1033編成もついに限界を迎えた。7月18日のイベント「ありがとうドレミファインバータ♪」での運用を以って、1033編成は更新され、シーメンスGTOではなくなることが京急公式で告知された。またその1週間前にあたる7月10日に、京急蒲田で記念乗車券を発売した。京急もシーメンスGTOには思い入れがあると分かるイベントである。
7月10日、記念乗車券販売、限定5000枚のうち2枚を手にする
7月10日午前7時、京急蒲田。京急蒲田要塞とも言われるここに、長蛇の列が出来た。記念乗車券発売の話を聞いた人で既に溢れかえっていたのである。私は販売開始の10分ほど前に到着したが、最後尾は駅からかなり離れた場所にあった。そして販売所そのものに辿り着くまでには、約4時間16分も待たなければならなかった。その時の列の様子をGoogleMAPと京急蒲田構内図、実際に撮影したいくつかの写真を使って示すと、このようになっていた。
改札外で駅構内に販売所があるとはいえ、駅舎自体小さい。所謂「エキナカ」を考えない建て方をしているため、一般利用客を考慮すると待機者全員を構内に収めるのはまず不可能だ。したがって駅周辺の、これもまた一般利用者に迷惑が掛からない位置に待機列を作っていった結果、画像で示した通りのルートになったということだ。もっとも、JRが直接接続するターミナル駅ではないので、考えなくてもいいことだ。しかしなぜよりによって蒲田なのか。京急の歴史を考えるのであれば川崎の方が相応しく思うが。
さて、実質コミケ状態でこの後に出されるジャップ政府の頭緊急事態宣言クソくらえな状況、一部の奇喪汚多が京急職員に八つ当たりする民度の低い行為を目撃しながらも、修理したPS Vitaで時間を潰しているとその時がきた。1枚2000円、上限2枚までのこれを当然2枚購入した。裏には整理番号のシールが貼られていて、それから推測するに残り約600枚前後だったのである。ギリギリだが、無事に購入することができた。
内容は、開くとシーメンスGTOが鳴るサウンドカードに950円・800円・250円分の乗車券が入っているものである。その様子を実際に撮った。
開いた際に下側に繋がっている絶縁体が引っ張られることで、上側の裏側にあるスピーカーからモーター音が鳴る構造となっている。この音は終了タイミングから、35km/hまでが収録されている。シーメンスGTOの音声についてはネット上に様々転がっているが、京急公式で発売している点でそもそもが貴重なコレクターズアイテムである。したがって、何があってもこれだけは手放すことはないだろう。なお電池式であるが、ボタン電池をうまく交換できればいつまでも鳴らすことができるであろう。
ちなみに記念乗車券そのものはD型硬券というものになっている。裏に書かれている注意書きによれば、有人改札を利用しなければならず、通常は改札を出るときに回収される。ただし希望により手元に残すことができるため、実用性はちゃんとある。だが、殆どの人はきっと使いたがらないであろう。
7月18日、貸切イベントによる「ラストコンサート」
さよなら運転は、鉄道における一大イベントだ。今回の新1000形でも同じことが行われる。7月18日に品川⇒久里浜工場の特別貸切イベント列車「ありがとうドレミファインバータ♪」を行うことが決定している。これは200名参加でき、京急百貨店COTONOWA会員限定の先着応募販売170名(大人¥3,300/小人¥2,200)と、前項の記念乗車券を購入した人でくじ引きを行い、それに当たった15組30名が参加できる。乗車して楽しみ、外から見て楽しむというイベントであるようだ。それよりも久里浜工場を見学できる方がレアだ。
なお、くじの倍率は15/5000であり、0.3%の確率しかない。当然ながらくじが当たるわけがなく、参加することは無理だった。また、これだけのためにCOTONOWAに登録することもないという考えであるので、このイベントはパスした。もっとも、記念乗車券を入手できただけでも成果はあるので、それを考えると無理をすることもないであろう。欲張るのは良くない。
その他:プラレールとコラボして新1000形を発売
子供のおもちゃとして人気のあるプラレール。京急がタカラトミーとコラボして、新1000形のサウンドプラレールを販売した。これも「さよならドレミファインバータ♪」の企画の1つである。3両編成で¥3,200、数日に分けて販売されるが、9000個限定である。最初の販売は記念乗車券と同じ日に京急蒲田で販売され、グッズショップ「おとどけいきゅう」オンラインでも販売された。以降は7月11日に「おとどけいきゅう」鮫洲店、横浜港大さん橋店、7月16日にセブン-イレブン京急ST店、京急ストアの一部店舗、京急百貨店5階【おもちゃ売場】で販売される。
サウンドプラレールは以前に2100形を販売したことがある。新1000形については初で、しかもアルミ車である。もちろん、モチーフは1033編成だ。これもシーメンスGTOが鳴るように設計されており、走行に合わせて警笛も鳴るようだ。ただ正直なところ、プラレールで遊ぶ歳ではなく、遊ぶ子供もいないのでこれもパスした。どうしても記念乗車券の方が大事であるからだ。
ちなみに、プラレールに関しては記念乗車券よりも並んでいなかったので、そこまで慌てなくても大丈夫であろう。
鉄道の歴史に刻まれた1ページ、そして新しい歴史の始まり
京浜急行電鉄、通称「京急」。関東大手私鉄の中でも異彩を放つ存在であるここは、様々な型破りを実践していた。それと同時に、車両についても独自性が見られ、それは沿線住民のみならず全国の鉄道ファンを魅了するほどの存在として、多くの人に愛されている。その中でも人気なのは、2100形と新1000形の存在だった。
シーメンスGTO-VVVF、通称「ドレミファインバータ」の採用は2100形に始まり、700形および1000形の後継であり主力の新1000形の2次車まで採用している。ドイツ特有の遊び心が生んだそれは、2100形や新1000形が「歌う電車」として認知され、京急の象徴として長らく活躍し愛されてきた存在であった。これが鉄道ファンのアーティストにも影響を与え、京急とくるりがタイアップして誕生した名曲「赤い電車」、鉄道の音マネを題材にすれば右に出るバンドはいないSUPER BELL”Zから「MOTOR MAN 京浜急行VVVF」、向谷実自身が収録した音源をベースにSUPER BELL”Zとともにノリノリで演奏する「ドレミファーレ」8)原版は2007年~2008年『世界一奇妙なクイズ』(すくいず!内では『世界一キモいクイズ』)の第1回に向谷実が出演した際に披露したもの。この時は[快特]品川で立会川~品川だった。何故かニコニコ動画にそのシーンの動画(7:02~8:28)がある。など、名作のきっかけにもなっている。京急が単なる鉄道・バス事業者ではなくなっていく瞬間だった。
だが悲しいことに、機械であるそれはいずれ限界を迎える。限界を迎えたそれらは国産の機器に更新され、シーメンスGTOはその数を減らしていった。まず2100形から減り、そして新1000形も減っていく。シーメンスGTOを採用した電車が日本から完全に消滅するということが現実味を帯びて、ついにその日が確定してしまった。それは、京急の象徴が1つ消えることであると同時に、鉄道の歴史の1ページにそのことが刻まれることでもある。そして終わりがあれば始まりがある。そこから新たな京急の歴史の始まりとなり、新しい何かがまた登場することであろう。その期待と新1000形のシーメンスGTO終了を記念して、この記事の公開で代える。
Thank you, Keikyu type N-1000 1033F: SIEMENS GTO-VVVF
以上、京急新1000形1033編成更新:消えるシーメンスGTO、であった。それでは、次回の記事で会おう。ン、バァーイ!
KIBEKIN at 10:33 Jul. 12th, 2021
余談:Train Simulatorで歌い続ける
向谷の完全な趣味から誕生したTrain Simulatorシリーズ、京急が関係するものは2つ存在する。いずれもPS2作品である。
- Train Simulator Real THE 京浜急行 2002年10月31日
- 三崎口~品川、羽田空港~品川を運転可能。まだ高架化されていない区間が多く、当時の風景記録としても貴重な作品。
- Train Simulator 京成・都営浅草・京急線 2005年8月25日
- 京急:羽田空港~泉岳寺、都営浅草:泉岳寺~押上、京成:上野~成田空港、押上~成田空港を運転可能。TSR京急よりもレア度が高い。
これらはシーメンスGTOの2100形および新1000形を運転できるもので、今もなお人気の作品である。今回の新1000形シーメンスGTO引退によって、TSR京急も価値が上がると推測されるので、今のうちに入手しておくといい。
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脚注
本文へ1 | 最古が京都市電、2番目が名古屋電気鉄道(≠名鉄)であるが、これらはいずれも全線廃止となっている。したがって、京急が実質的に現存する日本で最古の電気鉄道会社になる。 |
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本文へ2 | 参照1:創業期 | 京急歴史館 | 京浜急行電鉄(KEIKYU) これは1ページ目。それぞれの時期で区分され、合計7ページ用意されている。 |
本文へ3 | 参照2:京浜急行電鉄 – Wikipedia |
本文へ4 | 京急のイメージからドレミファインバータが最初に導入されたのが2100形だと思いがちだが、実際はJR東日本E501系の方が早い。E501系は1995年から製造している。 |
本文へ5 | かつて京急、都営浅草線で使用され、現在は京成・北総・芝山・新京成で使用されているATS。交流50Hzの軌道電流をレールに流し、これを特定の時間遮断することによって速度照査を行っていた。 参照:自動列車停止装置#1号型自動列車停止装置(1号型ATS)- Wikipedia |
本文へ6 | 京急、都営浅草線全線と京成・北総・芝山(予定)・新京成の一部区間で使用されている、1号型ATSに代わるATS。Common=共通, Continuous=連続, Control=速度制御、の3つのCから命名されている。信号伝送がデジタル方式になったことで、より詳細な速度照査を可能にした。特にカーブに対する速度照査や絶対停止機能の搭載が可能となり、独自の速度照査も加えられ、1号型ATSと比較して安全性の向上が実現した。しかしこれによって京急の120km/h運転できる区間が少なくなったのも事実である。 参照:自動列車停止装置#C-ATS – Wikipedia |
本文へ7 | 2019年9月5日、1137編成(ステンレス車)が神奈川新町付近の踏切でトラックと衝突する火災事故を起こし、損傷が激しいため2020年3月15日付で廃車。この編成は10次車で2010年6月竣工であり、10年持たずに新1000形初の廃車となった。 |
本文へ8 | 原版は2007年~2008年『世界一奇妙なクイズ』(すくいず!内では『世界一キモいクイズ』)の第1回に向谷実が出演した際に披露したもの。この時は[快特]品川で立会川~品川だった。何故かニコニコ動画にそのシーンの動画(7:02~8:28)がある。 |