【デジタル時代の考え方】ミニマリスト論2:物を「物質的」に持たないは正解か? | Raven's Articles

【デジタル時代の考え方】ミニマリスト論2:物を「物質的」に持たないは正解か?

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この記事の概要を簡単まとめ!

  • 祖父の遺品整理に忙しい現在
  • その量は多く、全てを管理するのに時間がかかっている
  • 今後の引っ越し予定にも合わせて自分のものも捨てる準備をしている
  • 移動を頻繁にするのなら「ものが多い」ことは足枷になるはずと気付く
  • 最小限の物で生活する「ミニマリスト」を再び考え付く
  • 毎日使うもの、こだわりのもの、代替不可能なもの以外は「不要」と捉えられるかどうか
  • デジタル化推進時代、残したいものがあるのならそれを利用する手がある
  • VR技術の継続的進化は近い内「完全再現」を可能にする
  • 物質的に残す時代は終わりか?

忙しさが増えてしまうと、自分の作業が中断されることが多くなる。したがって、現状の私は記事の1本を書くことですら滞りがあるような状況であり、おそらくはこの状態が最低でも6ヶ月は続くと見込んでいる。正直私はこの状況を良しとしない。というのも、一応の本業であるブログクリエイターが遺品整理によってまともにできなくなっているからである。本業を犠牲にしてまで遺品整理してしまうのは、私としてはナンセンスにも感じることである。

さて、そんな遺品整理をしている時に感じたことがある。一言で表せば「多すぎる」ということであるが、それは遺品以外の物でも当てはまる。日常生活において「使わないが手元に置いておきたいもの」というのが存在するはずだ。欲が多い人は、それがかなり多くなることであろう。そうなったとき、部屋に使わずに置いてあるものが増えていくことに違いない。コレクターズアイテムであれば尚更、買った後は未開封か、どこかに飾っておいて後は放置、ということが一般的であるはずだ。

ただ、最近の出来事からこれはあまり利口ではないということを考えた。家族の誰かが転勤族のために頻繁に引っ越しをする必要があることを代表例として、人売り企業SESなので様々な場所を行ったり来たりする、一軒家やマンションを手放すことになった、といった事態は起こり得る話である。その際に持っている荷物が多すぎると移動に苦労することはすぐ想像できる。結局そこで余計な荷物を棄てる手間が発生するので、だったら最初から「使う物だけ」しか持たない方が効率がいい。これが所謂「ミニマリスト」と呼ばれる、必要最小限の物で生活するスタイルになる。以前にもミニマリスト的な生活について書いたが、今回は時代に合わせた改訂版と思って読んでもらいたい。

ブンブンハロー必要最小限で生活すると楽しい人生、どうもKIBEKINです。

物を持つこと、捨てること

祖父の遺品整理に忙しい現在

私のブログの常連またはSNSを確認している人であれば知っていることである。私の祖父が亡くなり、その後の処理に追われる毎日になっており、本業となるはずのブログクリエイターについて全くやる暇がなくなっている状況だ。遺品の内容は何故か捨てなかったゴミ、大事にしていたであろう趣味の鉄道模型、もはや開けることすらしなくなった分冊百科など、非常に多くのものを残していったのである。その量は想定していたのよりも圧倒的に多くなったため、これらを全て処理するのに時間がかかっている。「拘束時間」は長くなりそうである。

遺品整理を行う際は、管理を簡単にするため、Excel、ではなくLibreOffice Calcを使用して、管理番号をつけてその名前の詳細と平均相場、在庫があるかどうか、そして最終的には税金対策(20万の壁)のために手数料、送料、最終収益もまとめて管理できるように実に細かく設定を行っている。同時に遺品ではない、不用品として通常出品しているものについても、自治体から見れば雑所得の1つにまとめられるため、最初から1つのものとして管理している。結局その方が後々楽になるためだ。



基本的に遺品整理は平日に特定の時間を設けて行っているが、それらを売り出す場所、所謂オークション・フリマサイトはキャンペーン開催に合わせて出品を行うようにしている。その方が入札ないし落札される可能性が高く、クーポンが付与される場合は少し高くしても売れ、出品手数料還元の場合はポイントとして、そのポイントは殆どの場合で換金不可能であるので、そのポイントで別のものを買ってそれを売る、といったことはできる。このあたりについては一応の情報は記入しておくが、メインとなるのは銀行振込された額である。この部分は絶対に記入漏れがないようにして、発送時梱包に係る費用は経費として落とせるため、この部分についても書くようにしている。ある意味で「事務」の勉強にはなっている。

その量は多く、全てを管理するのに時間がかかっている

とはいえ、その量は非常に多い。少しずつ作業を進めているものの、一向に減る気配がないように感じている。それでも終わらせなければ、本業であるブログクリエイターをする時間もなくなり、今後の予定を立てることや料理についてもやりにくくなっていくことは確実だ。そして祖父の遺品の中には特別に大事にしていたものもあるはずで、売却してもいいものと遺品として持っていくものも分けておかなければならない。特にD51形蒸気機関車や海外(アメリカやイギリスなど)の蒸気機関車ないし電気機関車の一部モデルは、一般的な市場価値以上に大事にしているものがあった。本当に大事にしていたかを判別するのは、祖父が死んでしまった以上私や両親で行わなくてはならないのだが、最終的な権限は私にある。全部を残すわけにはいかないため、ダブっているものや傷のあるものは売りに出し、大事にしまっていて、特に気に入っていたであろうものや保存状態が良いものは持っていくことにしている。

祖父は線路に飾っていたもの以外は箱に入れて保管していたのだが、問題は箱の外に書かれていることとその中身が全く一致しない時があるということだ。つまり、全て箱から出して中身を確認して、メーカー・車両形式・どこで使用されているものか、それらを逐一確認しなくてはならないことを意味するのである。その際、多くの車両は側面に形式番号が書かれており、或いは外からは見えない部分となる車体の底面にメーカーの刻印と形式番号が書かれているので、それでどんなものかが分かる。ただしそれはメーカー完成品の場合が殆どで、キット品で真鍮製の場合は色が塗られていない場合は形状から探すしかないという、非常に苦戦を強いられる。そして時間は有限であり、体力も有限だ。調べるのに時間がかかってしまえば、「中身の調査」が進まないために結果的に時間がかかり、そして調査のため体力も消費することになる。これが繰り返され、以下無限ループのように続く。

そうなってしまうと、全てを管理するのに時間がかかることは明白である。だったら優先してどんどん管理を進めていけばいいのではないかということにもなるのだが、そうだとしても本業となるブログクリエイターはもちろん、売却するための出品作業も行わなければならない。データと情報を入力、開始価格と終了日を設定、発送方法の設定とそれに対応した梱包及び専用梱包材の購入。前述の事務処理も兼ねて考えれば考慮すべき点が非常に多い。したがって、総合的に見ても「時間」がかかっているのである。当初の想定よりも大幅に、である。

今後の引っ越し予定にも合わせて自分のものも捨てる準備をしている

現在の家は単純な面積で考えると決して狭くない土地で、それに加えて3階建てで屋上も存在する。そのためか、祖父も祖母も生きている頃はそれでちょうどよかった。しかし先に祖母が亡くなり、そして大きく遅れて祖父が亡くなり、祖父の部屋を掃除した結果、家の空きスペースが増えたので、かなり広く感じた。むしろ、広すぎるようにも感じたのである。その上、40年以上も前に建てられた家であるため、各所に老朽化の影響がみられる

そのため、現在の家や土地を売却し、どこかのアパートやマンションに引っ越しする計画が進んでいる。その場合、どこかの1つの部屋を借りるのが基本であるが、そうなると現在住んでいる家よりも明らかに全体の広さや部屋1個単位の広さは小さくなることは確定する。それに部屋の形状も完全に一致することはなく、壁に穴を開けることはマンションやアパートを借りる場合は原則として禁じられた行為であるため、その意味では部屋を丸ごと移すことはまず不可能である。これが結果的にある程度の「もの」を削らなくてはならないことに繋がるのである。



もし本当に引っ越しをするならそれを実行する必要がある。その際の方針は、自分が今保有している物理的な「もの」の中から、今後使う機会が全くないもの、機能が重複しているものなどは可能な限り少なくする。それに対してほぼ毎日使うことになるもの、PCなどの家電の破損時における代替可能な部品は多すぎないくらいに確保しておく。また、一般的な消耗品である電池やティッシュといったものは邪魔にならない量であれば持っておいて問題ない。この方針の下で、自分のものも徐々に減らす予定でいて、その準備をしている状態である。今は遺品整理に忙しいので、全く手を付けられないが。

移動を頻繁にするのなら「ものが多い」ことは足枷になるはずと気付く

ところで1つ、気付くことがある。所謂「転勤族」に代表される、役所で住所変更について申請するレベルで頻繁に転居する人は、引っ越しをよくする人そのものだ。頻繁に転居するのならそれは引っ越しのプロとでもいうべきであるが、持っている荷物を全て持って移動するにしても、その量が多すぎては移動するのに時間がかかることになる。単純に考えれば足枷だ。それを考慮すると、必然的にものが少ない方が動きやすいことに気付くはずだ。

もっとも私は社畜を経験した期間が少なく、転勤族となる仕事の内容についても大して知らないが、住所変更を伴う移動については頻繁に行うのでなくても、マンションやアパートの一室を借りて住んでいる人の中には、何らかの事情によって引っ越しすることがある人も多い。例えば、今住んでいる地域に飽きたとか、最近話題となっているUIJターン系、テレワーク推進による地方移住などだ。このあたりについては、特に理由は問わない。

また、引っ越しに限らず、ものが多いことをあまり心地よく思わないという人が存在する。その場合、所有権が自分にある「もの」を少なくして、あるタイミングでどうしても必要になったものがあるなら、一時的に買って使ったら売るか、レンタルによって使用後に返却するといった方法で生活するようなものだ。生活必需品と自分が本当に必要とするもの以外は物質的に持たないということで、その生活スタイルまたはその生活をする人を「ミニマリスト」と呼んでいる。ミニマリストについては言葉として聞いたことがある人は多いであろう。また私自身、ミニマリストについて過去に考えたこともあり、それについての記事を書いたことがある。だが今回は、祖父の死亡による遺品整理から派生した、ものを持つことへの疑問。「物質的」に持たないことは果たして正解か、次項より熟考していくこととする。

再考する「ミニマリスト」な生き方

前提:ミニマリストの定義を再確認

持論を展開する前に、ミニマリストの定義について一旦確認をする。ミニマリストは、一般には以下のように定義されている。

知恵蔵「ミニマリスト」の解説

ミニマリスト

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。

ミニマリストとは – コトバンク

ミニマリストという言葉と概念が生まれたのは意外にもアメリカである。それも、何でも手に入れることができる富裕層で生まれたものだ。いつでも好きなものを得ることのできる彼らの新しい欲求は、『すべてを手に入れるのではなく、洗練され厳選した質の良いものだけで生活したい』ということだった。これを他の人に向けて発信し始めたことで、ミニマリストという言葉、そしてその生活スタイルが認知されるようになったのである。

物欲を制限して生きるというのは、ミニマリストという言葉が定義されていなかった過去にも実践している人は存在したが、発信しても届かないことが多かったためにあまり広まることはなかった。現在は文明の利器=インターネットの普及によって、ミニマリストという言葉も生活スタイルも簡単に発信し、伝達することができる。同時にその情報を求めている人も、検索すれば出てきて辿り着きやすくなっている。多種多様な価値観を持つ時代、その考え方に共感する人も増えてきた結果、ミニマリストは広まっていったのである1)参照:【ミニマリストでスッキリ暮らす】上手なもの選びのコツと5つの方法 | 派遣・求人・転職なら【マンパワーグループ】 転居が多い会社タイプ・職業故、ミニマリストが好まれるのであろう。




対極の考え方や断捨離などとの違い

ミニマリストという考え方があるのなら、その対極や似たような考え方もあるはずだ。対極の考え方は非常に簡単で単純な、「マキシマリスト」(Maximalist)である。ミニマリストが厳選されたものしか持たないのなら、マキシマリストは何でも持ちたがる、という違いである。殆どは「趣味の領域」についてマキシマリストであることが多く、某竜を倒す冒険の世界の半分をくれるようなマキシマリストは滅多に存在しない。マキシマリストにありがちなのは、その趣味の領域において妥協を許さない性格であることだ。これにより関連するものを集めまくった結果、荷物が多くなりすぎて部屋が窮屈になることがある。もし同居人がいる場合、存命でも死後でも面倒な事態になることはあり得る。とはいえこの部分は個人の思想によるものなので、改善強制も難しい話である。だが結婚生活をしていたと考えれば、思想が一致または片方が妥協しなければ長続きしないということはわかる2)参照:ミニマリストが合う人とは?>ミニマリストの対極は? – ミニマリストとは?シンプルな生き方のメリット・デメリット・向いている人は? | ビギナーズ マキシマリストもまた、その特性上富裕層に存在するであろう。

ミニマリストと似たような考え方としてよく取り上げられるのが、「断捨離」や「ときめきの片付け」である。断捨離はやましたひでこ氏著書『断捨離』、ときめきの片付けは近藤麻理恵氏著書『人生がときめく片づけの魔法』で提唱されているものである。これらはいずれも「ものを捨てる」ことに関連している内容となっていて、特にときめきの片付けとミニマリストは考え方として近いものがある3)こんまり流のやり方の概要としては、ときめくもの=要るもの、と定義してそれ以外を捨てるという形である。ミニマリストにおける「厳選したものだけで生活する」ところと似ている。 参照:“ときめき片づけ”でここまでものが減った!1か月の実践リアルレポート | ESSEonline(エッセ オンライン)。断捨離は「物を家に入れない(断つ)、捨てる、物などへの執着から離れる」というもので、これはこだわりの有無に関わらず一律に捨てる意味合いを持つと考えられる。よってミニマリストとは異なるものであると捉えている。もっとも、それぞれが言葉として存在する以上、その言葉が持つ意味も異なる。よってミニマリストはミニマリストとして、多数存在する「生活スタイル」の1つの方針として独立して考えて問題ないはずだ。

基本方針:毎日使うものを基準に必要と不要で分けていく

さて、ミニマリストな生き方を考えるうえで、まずは基本方針を決める。ここでの基本方針は私が独自に決定したもので、ミニマリストの定義から外れる場合があることをご了承いただきたい。

ミニマリストで大事なことは、ものを持ちすぎず、捨てすぎないことだ。自分に全く無関係で使う機会もない、不要なものを持っていては何にもならず、ただ邪魔なだけ。その逆、日常生活においてどうやっても必要で代替不可能なものを持っていないと、その時点で生活に支障が出て、まともには生きられない。つまり、その中間値が前提条件となる。このことにおいては極端であるのは寧ろ自分の首を絞めかねないことになるようだ。

その上でミニマリストになるなら、対象のものに対し、日常生活を送る上で「必要」または「不要」であるかで判断することを基本方針とする。私の基準において必要と感じるラインは、毎日使うものかどうか、である。毎日使うということは必要であることは確定である。それ以下の基準は時々使う、あまり使わないが代替不可能、と続けていく。最終的に滅多に使わないものは不要と捉え、金になるなら売って、そうでないなら捨てることで綺麗に整うはずだ。

私が毎日使うものの一例
私の作業スペースの一例。これらは毎日使うものである。他にも毎日使っているものがある。

こだわりのものについての考え方をどうするか

しかし、この方針がなかなか適用しにくいものがある。ミニマリストの基本的な考えである洗練されたものだけで暮らす生活とは、要するに「こだわりのもの」を持って生活することである。これが厄介で、そういうものについてはあまり捨てたくはないと思うのが普通だ。しかし何らかの基準を設けることによって「こだわりのもの」を所有する限度を設定しておかないと、いくらミニマリスト的生活を実践しようとしてもそれを溜め込みすぎることで、結果的にものが多すぎる状況に陥る可能性がある。

だからといって「こだわりのもの」を持たないのは、それはまた違う話である。なので私の場合の考え方は、「持っていても使う予定がない」ことが明確に確定しているものについては、市場価値が高いもの、一般には流通していないもの以外はなるべく持たず、どうしても持つ必要がある場合はその数を制限することとする。所持数を明確に制限することで、心理的に自制をかけやすいと考えてのことである。もし所持数を超える場合はカテゴリ内で優先度を比較して、それの低い方を捨てるなり売るなりすれば問題ないはずだ。




例を用いた解説:こだわりのものについてはこのように対処する

例を挙げるなら、私の場合のこだわりはゲームである。しかし引っ越しするにあたって、所有するゲームを全部持っていくことは不可能であり、ハードも含めて考えればその重量は計り知れないものになるであろう。その場合、まず滅多にやらないものを除外する。例えば現行ゲーム機(PS4 Pro, PS5, Xbox Series S/X, Switch, Meta Quest 2)やそれに匹敵する構成のゲーム用デスクトップなどは頻繁にやることは確実だが、それ以外のゲームは果たしてどうかと問われれば、滅多にやっていない。それらのハードは押し入れの奥や棚のどこかに置いてあることが殆どであり、まずその姿すら見ていないのである。

さらに最近の傾向として、かつてのハードで出来たゲームはPCでプレイできることが多くなっている4)その方法は、Steam, Epic GamseといったPCゲームのプラットフォームからPC版に移植されたものが公式に販売されていたり、ある特殊な手段を用いて「再現」するソフトウェアとそのイメージファイルの組み合わせで動かす、といったものとなる。。それを考えたとき、わざわざ旧式ハードを持つ理由は消えつつある。流石に過去のハードのゲームを全部再現できているわけではないほか、移植に伴って存在していた「ワザップレベルの裏ワザ」が消えるなどの改変もあり得るが、PC版は逆に改造は容易にできると考えると、実は気にならない問題であることの可能性もある。それについてどう捉えるかは、実際にやる人次第である。少なくとも私の場合は、「文明の利器」は積極的に使うべきだと考えている。つまり、売ってしまえばいいのだ。もしどうしてもやりたくなったら、レンタルでもすればいいだけのことだ。

デジタル化推進時代、残したいものがあるのならそれを利用する手がある

ところであらゆるものがデジタル化の流れの影響を受けている時代であるので、代替不可能なものを除いてデジタル化されたものが存在することは珍しくなくなっている。むしろ、その元(アナログとする)の破損や劣化によって現物の維持が困難になっているのなら、可能な限りデジタル化を行って「再現」した方がいいのもある。物理的に存在するものは、完成した時点から劣化が始まるので仕方ないことでもある。

デジタルデータは極端な話、2進数の羅列である。それは私がソシャゲを捨てた時にも語ったが、ただしそれとは意味合いは違う。それらのデータは多くは手元に置いておくことが可能であり、記録媒体は物理的で劣化からは逃げられないものの、定期的な記録媒体の更新を行うなどの適切な方法で管理すれば、永続化が可能だ。なのでソシャゲ等と比較すれば少なくとも「意味のあるデータ」となっている。

そして最近は、創作物をはじめとした成果を発表する場はインターネット上がメインである。それこそ、制作物は大手プラットフォームやSNSで発表するのが基本であり、そうでない場合は自身のサイトなどでの発表を行うはずだ。それが一番効率が良く、宣伝効果も高いためである。これが物理的に存在する場合の制作物の場合は話が違ってくるものの、宣伝手段については全く同じであり、記録として残す方法も画像や動画、音声によって残す(遺す)ことができる。よって何か残したいものがあるというのなら、デジタル技術を使うのも候補に挙がってくるものだ。

VR技術の継続的進化は近い内「完全再現」を可能にする

VR技術はVR元年となる2016年から地道に進化を続けているが、それが大きく発展したのが、2020年10月13日に発売されたMeta(所謂Facebook)のスタンドアロン型VRデバイス”Oculus Quest 2“(またはMeta Quest 2)だ。このVRデバイスの登場はVRの世界を大きく変える存在となり、同時VR関連に巨額の資金を投入して発展を促進しているMetaの存在もあり、成長速度が加速している。昨今までは微妙とも評価されていたVR専用ゲームについても、Meta Questのコントローラーの特徴とVRヘッドセットの動きをゲーム内動作として取り入れるなどした最新VRアクションアドベンチャーゲーム『オノゴロ物語 ~The Tale of Onogoro~』が2022年3月18日に発売された。VRゲームの新たな可能性を証明したこれは、さらなる発展の起点にもなるはずだ。

また、VR技術が作り上げたのはゲームだけではない。VR空間の特性を生かし、VRデバイスはもちろん、PCとスマートフォンからアクセスできる、バーチャルSNS”clusterが、現在勢いを増している。元々はVRライブ等の3Dイベント向けのプラットフォームを、「バーチャル渋谷」や「ポケモンバーチャルフェスト」などの大型ワールドやイベントを公開したのを皮切りにバーチャルSNSとして進化したものである。VRChatと違い、スマートフォンからでもアクセスできるところに強みがある5)参照:バーチャルSNS「cluster」とは? 注目のワールドやおすすめの楽しみ方を紹介! | Mogura VR clusterを簡単に紹介している記事。知らない人でも大体こんな感じとわかるものである。。かつて存在していたサービスである「セカンドライフ」の最新発展版と言える。



clusterはメタバースで現在進んでいる部分の1つである。ワールドは基本的に用意されたものが多い中、自分でワールドを作れるというのも特徴である。私はこの部分に着目した。現在clusterで使用できる「パーツ」が果たしてどれくらいなのかというのは不明であるが、もしこのパーツの中に鉄道模型があれば、clusterのワールドの1つとして「鉄道模型」を作ることができるはずだ、と。現実における鉄道模型、ジオラマの構築は物理的制約、特にスペースの問題が大いに関わってくるため、簡単には作れないものである。しかしVR空間ならスペースの制限を気にする必要はない。clusterのワールド作成方法については「Unity」と「Cluster Creator Kit」の2つが必要となり、また個別にそれらについて勉強する必要はあるものの、これらをうまく使えれば構築することは夢ではないはずだ。

もちろん、VRと現実は異なるという反論はあるだろう。それは当たり前の話で、こだわりのある人ならVRで再現するそれを「邪道」と切り捨てることは想像に難くない。しかし先にも述べた通り、VRなら物理的制約はほぼ排除できる要素であり、同時に資金的制約についても排除可能である場合が多い。これらを考えたとき、VRを利用するのも手段の1つとしてはかなり選択肢に入れやすいはずだ。まだ再現レベルは現実と同等というわけではないが、進化は継続しているので、いずれは「完全再現」もできるはずだ。そうなることを願い、今も必死に遺品整理を行っている。

物質的に残す時代は終わりか?

祖父の遺品整理、そこから考えたことから話題として取り上げた、「ミニマリスト」についての考察の第2回目記事。以前と異なり、家族の誰かが亡くなったことで発生する事象や、将来的に引っ越し等の役所の事務手続きが必要な移動を行う際に発生する問題点に対し、それを解決する方法としてのミニマリストを提案した。それに関連して、デジタル化ができるものであればデジタル化を行い、どうしても残したいものがあるならそれを利用するという方針だ。私が今まで足を踏み入れていなかった領域であるVRの世界も、ミニマリストを実践する上ではかなり有用な存在であることも、この記事を書いて判明した。

おそらくまだ先の話となるだろうが、もし私が死んだとき、遺したものはなるべく最小限に抑えたいという気持ちがある。そうすることで、遺品整理に費やす時間をなるべく最小限に抑えることができると期待できるためだ。といっても遺品の内容は祖父の場合と全く異なるものになるので、私の遺品を整理することになったその時にしか、その答えはわからない。しかし私の中では1つの確信がある。成果や生きた証を「物質的に残す時代」は終わりに近付いているということを。歴史家の偉業は必ずしも物質的な「もの」で残しているわけではないように、現代なら現代らしく、デジタルデータで残してもいいはずだ。果たしてこれが「ミニマリスト」の考え方となるかどうかはわからないが、私にとってはこれを「ミニマリスト」な考え方として生活することにしていく。これで『立つ鳥跡を濁さず』が実現できることを願って。

 

以上、ミニマリスト論2:物を「物質的」に持たないは正解か?であった。それでは、次回の記事で会おう。ン、バァーイ!

 

KIBEKIN at 00:00 Mar. 23th, 2022


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脚注

脚注
本文へ1 参照:【ミニマリストでスッキリ暮らす】上手なもの選びのコツと5つの方法 | 派遣・求人・転職なら【マンパワーグループ】 転居が多い会社タイプ・職業故、ミニマリストが好まれるのであろう。
本文へ2 参照:ミニマリストが合う人とは?>ミニマリストの対極は? – ミニマリストとは?シンプルな生き方のメリット・デメリット・向いている人は? | ビギナーズ マキシマリストもまた、その特性上富裕層に存在するであろう。
本文へ3 こんまり流のやり方の概要としては、ときめくもの=要るもの、と定義してそれ以外を捨てるという形である。ミニマリストにおける「厳選したものだけで生活する」ところと似ている。 参照:“ときめき片づけ”でここまでものが減った!1か月の実践リアルレポート | ESSEonline(エッセ オンライン)
本文へ4 その方法は、Steam, Epic GamseといったPCゲームのプラットフォームからPC版に移植されたものが公式に販売されていたり、ある特殊な手段を用いて「再現」するソフトウェアとそのイメージファイルの組み合わせで動かす、といったものとなる。
本文へ5 参照:バーチャルSNS「cluster」とは? 注目のワールドやおすすめの楽しみ方を紹介! | Mogura VR clusterを簡単に紹介している記事。知らない人でも大体こんな感じとわかるものである。
RA管理人
RA管理人。名前は時にない。かつてこのサイトを管理していた前任者はどこかへ消えてしまった。


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