【平穏か怠惰か】欲がないことは”良く”ない?そんなことない! | Raven's Articles

【平穏か怠惰か】欲がないことは”良く”ない?そんなことない!

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この記事の概要を簡単まとめ!

  • 欲の持ち方は人それぞれ、環境も要因になる
  • 欲がないことについて否定的意見が多い
  • そして私KIBEKIN、欲を失っている
  • 原因は現状にあると自己認識
  • 「本当に必要」な欲だけはちゃんと持っている
  • 欲が多すぎても生活に支障が出る
  • 大事なのは結局自分が満足するかどうか

ここ最近、分散型SNSを連続で特集していた。マストドンに始まり、Misskeyを3回、Pleromaを1回、海外系SNSとしてGabを1回である。Parlerに関しては、2月に入って中旬にようやく復帰したので、ようやく執筆を再開できることになった。ただし、仕様が大幅に変更された可能性が高いので、再度情報収集をする必要がある。なお、記事番号は86番。欠番にせずに済むようだ。しかし書くかどうかはやる気次第である。

これまで自分が気になることについて書きあげてきた私であるが、たまには自分のことでも語ろうか、とも思ったのである。知っての通り私は社会不適合者であり、表向きにはブログクリエイターとして活動しているものの、その収入は微々たるものである。一人で生活していくことは不可能な状態である。社畜適性0であったのに気づくのが遅かったうえ、対策を取るのは遅すぎて、そして男として生まれているのでこの時点で人生ベリーハードである。

そうしてちまちまとブログクリエイター生活を続けていると、欲しいものがなくなりはじめ、次にどこかへ行くことの行動意欲もなくなっていき、さらにはゲームすらやるのが面倒になっていくという、「欲」を失っているのである。しかしブログ製作や料理に関する欲は依然として存在する。そのため、生きていく上での欲に関しては十分持っていることになる。しかもこれで満足しているので、特に何も思ってはいない。

しかし世間一般、なぜか欲を持っていないことを「悪」とすることが多い。何をもってそう決めつけてしまうのか、私にはわからない。なので今回は、欲がなくても全然OKだ!ということを書いていく。ベースとなるのは実体験であるため、久しぶりに生活系の話を書くことになる。

欲と生活

一般的な「欲」の定義

(よく、慾、ἐπιθυμητήςcupiodesire)とは、何かを欲しいと思う心[1]欲望欲求などともいう。

人間ヒト)、動物が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている。

仏教などでいう「欲」は、概ね生理的(本能的)なレベルのものを指しており、精神にとってをよくしていくもの、愛情を育てるもの、抑制するべきものとして説かれている。

欲 – Wikipedia

面倒が嫌いなので引用したが、相変わらず堅い。なのでわかりやすくすると、「欲しい!」という感情である。概要では、この「欲」をもってして心の働きや行動を決定する重要な要因という扱いである。言葉として使う場合、多くは熟語で使われるほか、欲の前に何らかの名詞や動詞や形容詞などをつけて○○欲、という使い方をする。一般的にはこの使い方で合っている。

「欲」については仏教や心理学の世界では少々意味合いが異なる。仏教においては食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲を代表的な欲望、「五欲」として教えられている。欲の本質は我利我利であるということから、欲=悪の捉え方となっている。そのほかにも生きる上での苦しみの要因として、マイナスな捉え方をしているようである1)参照:欲望の種類と意味・仏教で欲望をコントロールせずに対処する方法。もっとも宗教的なことは好きではないので、「そんなもん」程度にしか思わないが。



心理学では、欲の捉え方が通常と異なる。人間には「意識」(顕在意識)と「無意識」(潜在意識)があって、無意識の中に「リビドー」というエネルギーがある。これが欲の本体だ、としている(ユングとフロイト)。それが無意識から意識下に通るところにある「超自我」(善悪の判断を行う)が強すぎると、エネルギーが抑圧され神経症を引き起こすと唱えた(フロイト)。このことから、欲は誰もが持っているが、それを押さえつけると心の問題に繋がる、というように考えられている。また、有名なマズローの欲求階層論、脳科学との関連などもあって、心理学における欲は完全に別物であると言える2)参照:「欲」は悪いのものなのか?〜心理学から観た欲の正体〜 | 丸一真也公式サイト 欲を心理学から解説しているもの。環境要因による欲の強弱についても触れている。。ここでは心理学の観点から考えないので、おまけ程度に考えるといい。

環境が欲を左右させる可能性

ところで、欲の持ち方は人それぞれであり、無欲から超強欲まで様々な範囲の「欲」をそれぞれ持っている。そして重要なのは、人によって生活する環境がそれぞれ異なるということだ。ここで考えられるのが、生活環境によって欲が左右されるのではないか、という推測だ。生活環境については、社会情勢の変化についても考える。

現在よりもずっと前、所謂「バブル期」とされる時代において、その生活環境は殆どの人が豪遊ができる時代であった。簡単に言えば、金に困らない状況であった。そのため、欲しいものは何でも手に入る、金は使ってもあっという間に戻ってくる。大袈裟だが、しかし間違いではない。もっとも、バブル崩壊はするのだが、その後は大転換期となるリーマンショックが起きるまで、給料も出世も安定していた。ある意味で無能でも生きられる時代であった。

いざリーマンショックが起きると、「安定」の2文字はほぼ全ての会社から一瞬で消え失せた。その後は最悪の事態詰め合わせセットが起き、現在は無能と無駄に権力を持ってしまった利己主義者の悪態によって一生終わらない死のコロナウイルス情勢に放り込まれている、という状況だ。時間が経つたび、人間の醜い部分がもっと露呈するので人間が嫌いになっていくようなものである。

そんな中で、金を奪われ、自由を奪われ、しかし無能政府によって搾取されまくるような状況下。何も悪いことをしていないのに金が無くなっていくのである。生きているだけでペナルティマン紅茶監督である。その環境下で生きていれば、欲が薄れていくであろう。金が無いからやりたいこともできない、自由を奪われて移動を伴う好きなこともできないとなれば、物欲や行動欲はなくなっていくであろう。さらに金が無ければ、高級なアイテムよりもコスパがいいものを求めるであろうし、外に出れなければインターネット、特にSNSや動画配信サービスで満足するであろう。いかにローコストで楽しむか、今はそれに重きが置かれているような傾向である。

家庭環境も要素となる可能性

もう1つ、生活環境で最も身近となる家庭環境についても考えると、やはり大きな要因となるだろう。この家庭環境、主に金銭的人間的場所(土地)的の3つが大きな要因を占めていると考えられる。金があれば何でも買えて、金が無ければ欲しいものも我慢しなければならないことだろう。人間関係も親や祖父母、友人の有無やこれまで出会った人も影響するであろう。そして場所も、都心か都心以外の「都会」か田舎か、周りには遊べるところがあるのかないのか。これらは全てが0と1だけで構成されるわけでなく、全てのパラメータの値が微妙にそれぞれ違って、組み合わさっているという形になる。したがって、ある1つについて全員が同じであったとしても、他の要素に相違があれば環境は違うと言える。

また、家庭環境について言えばそれが子供か大人かによらない。ただし独身かつ単身で生活している場合は家庭環境と言わず単に生活環境となる。ただ、金がなくとも友人が多かったり都心で色々と人との交流があると金銭欲よりも人間関係を重視するであろうし、逆に人間関係は殆どなくて貧乏だった場合は金銭欲が強く、人間関係などはそこまで重視しない、と考えられる。ただしこれらはそれぞれの価値観、教育、生活による思考の変化を考慮すれば、全員が全員、同じ傾向とは言えないのである。

欲がないことについて否定的意見が多い

勿論、提示したこれらの考え方・欲の持ち方というのは常に一定ではない。時間が経てば欲が戻っていることも、或いはまったくなくなることもあり得る。このあたりは結局、「人それぞれ」という言葉に片付けられてしまうので、一概にこれがその通りとは言い切れないものとなっている。そもそも素人がただ推測で語っているだけであるが。

ところで、世間一般の意見として、欲がないことに対する評価は否定的である。欲がないことについて、これを仕事と繋げて考える「旧世代の意見を持つ者」が多く、欲がないことは向上意欲がないとみなすことが何かと多いのである。この場合多くは出世したくない、責任を持ちたくないというような捉え方になる。もっとも、これは現代の傾向として階級が上がっても責任だけ重くなって給料は殆ど変わらないこと、それによってプライベート重視をするようになった、利口なシフトチェンジをする人が増えた結果である。それに対して上級國民職はクソみたいに給料もらっているので憎しみしか生まれない。一般国民を虐めるだけのお前らは無給でいい。



他には、物欲がないこと、男女関係に関する欲=恋愛欲や結婚欲についても、老害が大袈裟に捉えていることが多い。物欲がないことは経済の不活性化であるとか、恋愛欲や結婚欲がないことについては少子化の原因だと、自分達は果たしてそれについて何か「支援の手」を差し伸べたかどうかを無視して、欲がない世代、特に20代を対象に批判することが多い。これについては、少々的外れな批判にもなっている。無論これ以外にも欲がないことは生活するうえで良くないとしている意見が多々見受けられる。

欲がないことについて、その欲の対象と批判される内容について挙げた。旧世代の、時代に合わないであろう古臭い意見が見られるのは、昭和から変わらない保守的な体質が原因であろう。しかし、欲を持たないことを一般論で良くないとしていることについて、私は疑問にしか思わない。そこで次項からは、実体験を交えた上での欲を持たないことについての肯定的な意見を書いていくこととする。

KIBEKINと欲

一般論の話は終わりにして、今度は私KIBEKINについて語っていく。ここでは現在の生活と欲についてが中心となる。

現在の生活環境

現在、私は実家に住んでいる。一時期は大宮に居たが、これは大学を卒業した後の社畜1回目で約3か月間居ただけである。2回目以降の社畜、そしてブログクリエイターとして落ちぶれた後も、この実家で過ごしている。3か月間の大宮暮らしで分かったのは、私は一人暮らしは向いていないということであった。

さて、その生活環境であるが、現在は唯一できることであるブログクリエイターとして活動していることもあって、外に出ることは全くない。出るのは基本、食料調達をする場合のみである。ごく稀に、近場にいる誰かに会うことはある。しかしこの場合、「特定の目的」を前提として会うため、単純な遊び目的で会うことはない。わらびちゃんとのときも、主目的はT350/34ARのアップグレードだ。

また私には、子供の頃から個別の部屋はなく、常にリビングで生活していた。つまりは、常に両親が視界に入る状況である。その状態で、作業環境は今も愛用しているHP EliteBook 8570wを使いながら余っているモバイルディスプレイにただ意味もなくMisskeyのTLを垂れ流しブログアクセスの監視を映す。それを乗せる机は可もなく不可もない状態である。

作業環境
作業環境。2021年にもなって未だに2012年のPCで戦い続けている。見せられないところは隠している。

ブログクリエイターと言えど、実績は底辺の極みである。名前こそ語っていても実質トニーだ。そして如何に努力しても伸びないこともあって、もはや生きてていいのかすらも自問自答するほどである。一応の貯金はあるものの、それが尽きた頃には私は骨になっていると考えている。後ろ向きな未来だけは常に明確なビジョンがある。

失われる欲

金がないということは、行動の大半は制限を受けることになる。物事の殆どは、何をしてもはじめに金がかかることが多いためである。極端だが新規に事業を始めるにも、やはりそれなりの資金が必要だ。新規開業して資金を融資してもらうというやり方はあるものの、死のコロナウイルス情勢、実質的に成功確率0%の中でリスクは負えないもので、むしろ銀行や投資家も今は「出し渋る」ことであろう。期待出来ない。

つまるところ、やりたいことができない状態である。その状況下に置かれているからか、自然とやりたいことが消失していった。昔は高性能PCパーツが欲しかったり新しいゲームが欲しかったりしたのだが、今は全くそう思わなくなった。また、特別どこへ行きたいとか遊びたいと思うことが余計になくなり、外のイベント事には全く関心がない。そして大抵それらのことについては、万単位で金がかかるので余計である。しかしこの思考、元々持っていたのでそれが拡大したようなものである。

また関連するのが、外に出ないということは服装を気にすることがなくなるということでもあり、ファッションに対する欲は落ちる。もっとも、これも元からないので全く関係ない。当然、仕事に関する欲はなく、体たらくの極みである。こんな状態でよくも生きられるものだと、自分でも不思議に思う限りである。

欲を失う原因は「現状」

ここまで欲を失っている原因は明らかにその「現状」にある。その現状とは、先にも少し書いているが、ブログクリエイターではあるが収益は実質0で、金がない、金がないから外に出ずオンラインですら何も買わない、家に籠っているのでファッションも全く更新しない、という状況だ。

金がないので我慢する必要があるということで、欲がないとは言っているが「やりたいけど出来ないので諦める」という解釈が実際は正しいであろう。そのため実際には欲を我慢しているということになるのだが、不思議なことに私の感覚としては我慢しているという感覚はない。寧ろ欲が自然消滅してしまった、とでもいうべき程に何も感じなくなっている。端から見れば、その姿はまるで仙人のようである。




「本当に必要な欲」だけはちゃんと持っている

だからといって、全ての欲を感じないわけではない。例えば過去と未来の狭間今の私は、料理の腕が非常に上がっている。特にパスタについては、既存や市販のソースに依存しない、一般家庭に存在する調味料でパスタソースを作り、野菜もその場に存在する余っているものを使用して作る。よくある「無駄なこだわり」によって食材を固定することや産地やブランドを指定して作るような馬鹿が考えるものではなく、近くのスーパーやコンビニに行けば必ず売っている食材で作っている。およそ1年前からいきなりできるようになり、現在は常に新しいパスタのパターンを探している状態である。それ以外の普通の料理についても、非常にバリエーションが増えているのである。

それ以外で考えると、料理をするために前提となる野菜を自分の目で選ぶことや、ブログのネタのために各種SNSを色々自分の身で検証したり、今現在使用しているPCやスマホの情報とアップグレード、或いは生産終了となった物を自力修理する方法やパーツ収集など、これらに関してはずっと意欲的である。逆にこれらは今の状態であるからこそ強くなった傾向である。料理に関しては特にそれが強い。

これらについては、自分としてはそれを欲と捉えてはいないのだが、探求心やある目的を達成するために行動しているという点では、欲ということになるであろう。先ほど、欲がないとは書いたがこれらを「欲」として扱うのであれば、私は欲を持っていることになる。また、これらは私がしたいと思ってやっている行動であるので、「本当に必要な欲」ということにもなるであろう。やや哲学的であるが。

逆に欲が多すぎても生活に支障が出る

これは持論であるが、逆に欲が多すぎると生活に支障が出る、と考えている。というのも、欲がありすぎるということはやりたいことや欲しいものが多くなるということであり、それを満たすために金を浪費したり無駄に時間を使ったりしてしまうということになる。例えば、無駄に服を買ったり物を買ったりする、無駄にSNSをして時間を使いすぎるなどのことに繋がるであろう。または、欲しいが金がないために買えないこと、やりたいことが多すぎるために時間が足らず、欲を昇華できないことによるストレスが発生することも十分に考えられる。ただ、長期的にその欲を昇華する予定であるのなら、ストレスは然程溜まらないであろう。

また仮に欲を昇華出来たとして、後で振り返ると「要らないものを買ってしまった」「無駄なことに時間を費やしてしまった」という後悔の念が発生することもあり、これはストレスとなりやすい。自分で満足しているのであれば感じることはないが、満足しなかったり一時の感情に動かされた結果としての行動である場合には、これが発生しやすい。衝動買いとストレスは常に紙一重の存在であろう。

欲の昇華には、金を浪費すると書いた。その欲が多いと、昇華するまで非常に金がかかることは容易に想像できる。そのため、多額の金が必要になる、と繋がってくる。金を稼ぐにはどうするか、その答えは簡単で、社畜仕事をより無駄積極的に頑張るだけである。ただでさえ仕事とはクソであるが、金のためには大して給料も上がらないのに役職に就いたり、心の底からは思っていないのに頭を下げたり、無駄に残業しなくてはならないなど、ストレスのかかることが多い。ストレス耐性が強く、どうしてもその欲を昇華したいというのであれば我慢できるであろう。そうでない場合は身体の不調をきたすこともあり得る話だ。これらを考えたとき、欲を持っているのはデメリットがある、生活に支障が出るといえるであろう。

欲がないことのメリットは何があるか

では逆に欲がないことのメリットは何かを考えると、欲がない=欲しいもの・やりたいことがないと言い換えられる。つまりは金を使わないということだ。経済を回すために使えとか言ってくる馬鹿を無視するとして、金は使わない場合、(収入がなく、所謂維持費や無駄に搾取される血税によってマイナスになる場合を除き)金は貯まっていく。金は使わなければ意味がないとはいえ、何かに備えて貯金するということも重要なことだ。特に現代、無能国家ジャップは弱者切り捨てが暗黙の了解のように行われているため、国家に依存しないサバイバル術としては必要なこととなる。

他には欲がないことで物を買わなくなることから、部屋が片付く。所謂ミニマリストなスタイルになる。そうでなくても不要なものが存在しなくなるので、かなりスッキリした部屋になることであろう。滅多に着ない服や使わないものがあっても邪魔なだけである。また、広告を見ても無反応になるので衝動買いすることもなくなる。これの善し悪しについては考えないものとして、自分にとって使いたいことだけに金を使えるという意味では、利口な行動になると言える。

欲があることによるデメリットを語り、その逆に欲がないことによるメリットを挙げた。しかしこれらはあくまで私の持論に過ぎない。これらが全て正しいとは限らないため、これを見てどう思うかはやはり個々の思想によるものとなる。




余談:「物より思い出」の傾向があるらしいが

近年、世間一般では「モノ消費」より「コト消費」と呼ばれる傾向にある。もっと簡単に言えばどこかの車のCMでキャッチコピーとなっていた「物より思い出」である。なお、それぞれの言葉の意味としては以下を引用する。

「モノ消費」は、消費者がお金を使う際に、所有に重きを置いて物品を買うことで、「コト消費」は、所有では得られない体験や思い出、人間関係に価値を見いだして、芸術の鑑賞や旅行、習い事といったレジャーやサービスにお金を使うこと。近年では、消費者が「モノ消費」よりも「コト消費」を重視する傾向が出てきたといわれている。
日本では高度経済成長期が始まった1950年代以降、三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)や3C(乗用車、クーラー、カラーテレビ)など、モノをそろえることが消費の一つの基準となっていた。しかし、90年代初頭のバブル経済崩壊以降、インターネットの普及なども相まって人々の価値基準が多様化、細分化していき、「コト」を重視した消費行動が見られるようになった。

モノ消費とコト消費とは – コトバンク

カタカナ表記が個人的に嫌いなので漢字でいかせてもらうが、物は有形思い出は無形である。物はわかりやすいので解説するまでもないが、思い出は旅行やら食事やらの、形には残らないが記憶に残るもの、と考えればいい。また、習い事や資格、セミナー、サークル等もそれに当てはまる。料理レシピもメモを書き留めておけば形に残るが、殆どの場合記憶に残るものである。

この傾向は、昔よりも物質的に豊かになったこと、インターネットの普及などで価値感の多様化がなされたことにある。その結果、昭和的な考え方である高級車の保有や戸建ての購入といったものから、個人がそれぞれ思い思いの物あるいは事に対し自由に消費行動を行う傾向になった。これに伴って各企業もより「無形のサービス」に力を入れるようになった。旅行会社や鉄道事業会社はその代表で、力を入れているのがよくわかる。バカニーズがやたら旅行したがるのも、この影響かもしれない。

ただ、個人的には全く旅行に興味はなく、別に食事も高級なもので外食しなくてもいい、習い事のために金を使うことなども少々馬鹿馬鹿しいと感じているため、私はこれに当てはまらない。以前にはわらびちゃんと会ってはいるが、それと今回取り上げていることとは全く別のことである。私に「物より思い出」の傾向があるわけではないということはご理解いただきたい。

大事なのは結局自分が満足するかどうか

ここまで、人間が持っている「欲」について、一般論と自分の実体験を交えて語ってきた。その内容も、欲がないことについての否定的意見とそれについての反論、欲がないことのメリットを挙げ、最後に余談を語るという、少々ガバガバな構成である。久々に自分のことを書いたのだが、結局あまり自分のことを書くことができなかったように感じる。自分のことを語るのは苦手らしい。

私はただのブログクリエイターであり、人生経験も大して持っているわけではない。ただ、途中までは普通のレールに乗りながらも最後の最後で脱線し、レールに乗れた人を成功者としたときの敗北者としての道を歩むことになった。必然的に「不安定」で一般的ではない生活を強いられることになったわけだが、それが逆に、私にとっては1つのネタとして良かったのだろう。欲が何故か自然的に消えていったのである。このことは自分でも説明がつかないことであるが、ただ、消えたことで割と生活が安定してはいる。欲が少ないことで、無駄に何か金を使うことがないので、いざ何かあったときにも対応できるようになっている。私としては、心に余裕のある状態になった。

無論、過去と未来の狭間今の状態について、私に何か言いたいことがある人はいるであろう。しかし、欲がなくて、やりたいことがなくても、私は満足している。確かに、将来的にはこの状態を何とかしなくてはならないのだが、正直な話収入が増えたところで欲しいものが増えたりする気がない。ある意味での現状維持である。

結局のところは、自分が満足するかどうか、というのがポイントである。よって欲の持ち様に関しては、誰かに言われて変えたりするものではないし、一般論は全く無視していいことになる。もし今、欲がないことを”良く”ないことだと思っているのなら、そんなことはないので心配しなくていい。本当に必要な欲だけ持って、スマートに生きていくといい。

 

以上、欲がないことを悪くないと肯定する記事であった。それでは、次回の記事で会おう。

 

KIBEKIN at 17:00 Feb. 22th, 2021


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脚注

RA管理人
RA管理人。名前は時にない。かつてこのサイトを管理していた前任者はどこかへ消えてしまった。


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