【恋愛至上主義破壊】恋愛経験がなくてもおかしくない!~KIBEKINの考え方~

この記事の概要を簡単まとめ!

  • 「恋愛」は多くの人が好む「一般的」コンテンツ
  • 20代前半までに1回以上経験があることが「普通」
  • 経験がないことを「異常」とみなすことも多くなった
  • そもそも恋愛経験だけで人間を評価する行為こそ「異常」である
  • 自由恋愛なのに「恋愛しない自由」を認めないのは勝手すぎる
  • 恋愛経験なし=異常レッテルは一種の差別に当たる
  • 執筆時点25歳、恋愛経験なしでも(人間として)おかしくない
  • くだらないことで消耗するのは終わりだ

世間一般の話については、私は基本的に興味ないもので終わる。だがネタにはしやすい。ただ問題としてはネタにした場合、内容がガバガバになりがちということである。過去に私が書くにしては珍しい題材(タイトル)で多数の記事を公開しているが、それらは後の方になると必ずガバガバになっていることの反省文を書いているほどにはガバガバになる。しかしネタ切れでも書かなくてはならないことがあって、仕方なく書いていたのはある。

今回の題材である恋愛についても、私が扱えばガバガバになりやすいものである。だがこの題材はSNS上でも度々議論になるものであり、検索すれば多数の情報を入手することができる。そしてこれは私の話となるが、生まれてこのかた、一度たりともまともな恋愛経験が一切ないのである。そしてこれを執筆している時点で25歳。一般的な基準でいうところの「異常」扱いされる側だ。するもしないも自由に決められるはずの恋愛をしていないと何故異常者扱いされなくてはならないのだろうか。

だが、異常者扱いされようと私には全く関係ない。むしろ、恋愛したいという気持ちすらない。だからと言って出来ないことを悩むことはなく、同じく恋愛出来ないことに悩んでいる人を見ると、その様子に私は懐疑的になる。また誰かが現在進行形で恋愛していて、それについて何か投稿をしていても全く気にすることがなくなったのである。これも誰かに話したり見聞きした場合、否定的意見がぶつけられることが多い。だが私はそれこそ、つまり恋愛至上主義的な思考を否定し、そして恋愛経験がなかったとしても慌てる必要がないことを、私KIBEKINの考えを元に語っていく。

ブンブンハロー恋愛至上主義にとらわれた皆さん、どうもKIBEKINです。

恋愛と恋愛経験

恋愛は多くの人が好む「一般的」コンテンツ

恋愛とは、書いて字の如く恋をして愛をするということである。とはいえこれだけでは何のことなのかわからないのと面倒なので引用する。引用元は広辞苑だけでよい。

広辞苑』第6版では「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記し、さらに「恋い慕う」は「恋しく思って追い従おうとする。恋慕する」と記す。その「恋しい」は「1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま」「2 (場所・事物などが)慕わしい。なつかしい」と歴史的用法を踏まえて説明する。

恋愛 – Wikipedia

辞書的にはこういうことである。辞書も結局固いので辞書を噛み砕くように考えれば、「特定の異性に対して何かすごく気になる」ことや「人としての好きを超えた、特別な好き」と言えばわかるであろう。よく「恋は盲目」という言葉を聞くが、異性の誰かを好きになると周りが見えなくなるとはよく言われている話である。



さて、世間一般における恋愛の扱いについてであるが、恋愛は多くの人が好む「一般的」コンテンツとされる。いつからその傾向になったのかは不明であるが、一般的コンテンツ故にコンビニや書店には恋愛関係の書籍が立ち並ぶ。あるいは雑誌の数ページは恋愛コラムのために割り当てられていることなどがある。また、インターネット上でも恋愛の2文字でGoogle検索したならば、このような結果が得られる。

[恋愛]検索結果
[恋愛]でGoogle検索した結果。恋愛系に特化したサイトが検索上位に現れていることが確認できる。
このように、恋愛は1つのコンテンツとして成り立っていることが言える。そしてインターネットの発展、SNSの登場で手軽に恋愛に関する情報を発信及び取得できるようになったことも相まって、現実でもインターネット上でも恋愛を1つのテーマとして話し合いの場に登場することが普通になっているのである。特に「恋バナ」と呼ばれる恋愛トークについては10~20代女性を中心に展開されることが多いようである。

恋愛経験は20代前半までに1回以上あることが「普通」

現在の恋愛は、基本的に自由恋愛である。無能な皇室や政治家の二世や民族的に古い歴史が今でも続いているというわけでもなければ、恋愛対象は誰であっても構わないということだ。そうだとしても、しっかり人を見極める必要がある。

この恋愛、初めて触れるのは早い段階では小学生か、それより低年齢な時からあるらしい。果たしてこれが事実かどうかは知る由もないのだが、つまりは若いうちから恋愛に触れる可能性があるということを意味する。しかし小学生でも低学年の頃からでは流石に早すぎるので、大半の人がもう少し成長した段階となる中学~高校1年くらいで初めて恋愛するパターンが多いようである。ちなみに初めての設Xもその頃が多いとか。

その初めての恋愛は成就するかあるいは破局するかどちらかであるが、殆どの場合において自然消滅遠距離になったことによる双方の合意の上での破局が多い。最初の恋愛の大半は実らないというのが現実であるようだ。その場合は新しい恋愛をするために、また新しい相手を探すことになる。または「恋愛すること」にはまって、結婚を考えない恋愛(=破局前提)をするような人になることもあるようだ。これは理解できないが。

また、上記の期間でなくても、最低限大学修了までには1回は恋愛経験があることが「普通」となってきている。これの根拠は不明だが、学生から社会人になるタイミングだから、ということであろう。恋愛はモラトリアム(心理学的意味)の間に経験しておくのが暗黙の了解になっているようだ。

経験がないことを「異常」とみなすことも多くなった

自由恋愛であれば、恋愛しないこともまた自由である。つまり、恋愛に価値を見出せないとして恋愛しない選択肢をしたところで、誰も文句を言われる筋合いはない。これが「恋愛しない」ではなく「恋愛したいけど出来ない」という場合には意味は変わってくる。

それはさておき、20代前半までに恋愛経験が1回もない場合、世間一般の認識として人間として異常」というレッテル貼りをすることが横行しているのである。特に恋愛至上主義を掲げる馬鹿がこれをしたがる傾向にあり、例え他の点において人格的に問題がなかったり業績をあげていたりしても、恋愛経験の1つもないことを理由として「人間性に問題がある」と、その人を全否定することも少なくない。もっとも日本人(=ジャップ)とは長所よりも欠点を炙り出すことが得意な劣等(列島)種族であるので、民族的な問題でもある。

この傾向はインターネットが一般化し始めた2008年頃からahoo!ゴミ袋Yahoo!知恵袋や教えて!gooなどでそのような質問をしている人が見受けられ、2021年になっても同じ質問をしている人が存在するのを確認できる。また、個人レベルのブログでも20代前半で恋愛経験がないことについての個人の意見を書いている人がいるほか、恋愛に特化したサイトではやや肯定的に、教材を買わせたりメルマガに誘導させたいクソサイトは否定的に書かれていることが多い。最後のはuBlacklist入りである。

正直、私としてはこの傾向を理解できない。また、たった1つの経験がないだけで人格否定という、全く因果関係を証明できないことを真に受けて落ち込んだり諦めたりしている人が多々見受けられる。そこで、恋愛経験がないことは異常であることを全否定し、恋愛経験がなくても一切おかしくないことをKIBEKINの考え方を元に語っていくこととする。




恋愛経験がなくてもおかしくない!

恋愛至上主義には悪いが、恋愛経験がなくてもおかしくないことをこれから語っていく。なお、これから語っていく内容は私KIBEKINの経験や考えを元とするものであるため、これらの考えと読者の個々の思想と相違が発生する可能性がある。よって自分と分離した1つの考え方として分離し、客観的に見ていくことを推奨する。

第1反論:そもそも恋愛経験だけで人間を評価する行為こそ「異常」

恋愛至上主義の皆様は、恋愛経験の1つで人間を評価する行為が好きすぎる。それで人間を評価することが趣味と言わんばかりに行っていることが多い。他にまっとうな趣味の1つでもあれば、全くそんなことはしないであろう。

これについての最初の反論は、恋愛経験というたった1つの要素だけで人間を評価するというその行為こそ「異常」であるという考えだ。通常、誰かに対して評価を行うのであれば、その人の全てを見た上で客観的に判断を下すのが普通である。その際、犯罪歴などの明らかにやばいようなものを除き、評価にバイアスをかけることは殆どしないであろう。偏った評価ほど間違った評価になるためである。

逆にたった1つの事項のみを重視し、それ以外の事項を一切考慮しないというのであれば、評価する人の目は腐っていると言い切れる。恋愛経験がないからといって人間性に問題がある、人間として異常であるというのであれば、社畜仕事で業績をあげている人、表彰を受ける人や所謂「偉人」で過去に一切の恋愛経験などないままに生涯を終えた人が全員「やばい人」である、となる。

しかし本当に全員が全員「やばい人」と言い切れるのか、そう問われたときは答えは自ずと「NO」と言うはずだ。あるいは身の周りの恋愛経験がない人で、しかし恋愛以外ではいたって普通に生活していて、人生を楽しそうにしているそれを目の前にして「人格に問題がある」と言えるか、という話である。言えたのなら、その人はサイコパスだ。たった1つ、恋愛経験という指標だけで評価することがいかに異常なことかわかるはずである。

第2反論:自由恋愛なのに「恋愛しない自由」を認めないのは勝手すぎる

果たして現代の恋愛事情に合っているかどうか怪しいのだが、自由恋愛ということは恋愛すること・恋愛する相手は自分で選択できるわけで、同時に恋愛しないことも選択できる。これは今の自分と相談して、恋愛するタイミングではなかったり恋愛することよりも価値のあることが存在する場合に「恋愛しない」という選択をすることが多い。これもまた「自由」である。熟考して恋愛しない選択をした人は、大半が明確な目標やライフプランを計画していてそれを実現しようと行動していることが多い。なお諦めの意味を込めて恋愛しないと決めた人については考えない。

ここで、恋愛しないと決めた時、大抵の人はそのことを周りには報告しない。それは「恋愛しない」という事実が他の人に知られた時、その一部が否定的反応を返すためである。自由恋愛という名前がありながら、不思議なことに「恋愛しない自由」を認めないかのような思考がどうも一部の人には存在するようである。

どうも恋愛至上主義に皆様におかれましては、恋愛することはまるで義務かのように押し付けてくるのと、恋愛しないことに対して「もったいない」といった趣旨の発言をすることが見受けられる。これは「恋愛=楽しいもの、素晴らしい物」であり、それを(若いうちから)経験しないことは人生の半分を損している。なのでその楽しさを教えてあげようとか、恋愛はいいものだから考えを変えた方がいいとかいう、恩着せがましく他人を無理矢理にでも変えようとする過干渉な事態が発生することも多い。しかもこれについてやっている側は一方的な善意でやっていることが多く、迷惑の自覚が非常に少ないことも厄介である。

元来、自由恋愛というのであれば恋愛する自由も恋愛しない自由も当然のように認められるはずである。しかし恋愛しない自由だけ、まるで最初からなかったかのように無視されている、恋愛しない自由だけは認めない強い意志を感じる。自由とは果たして何だったのであろうか。

分析:恋愛しないことのメリットに気付いて選択している人

恋愛がそれまでの(恋愛とは意味合いが少々違うが)お見合い形式から、誰を好きになってもいいという自由恋愛に一般化されるようになってからというもの、デートやプレゼント、旅行や恋愛の先に存在する結婚式や子供といったものを考えたとき、恋愛は「金のかかるもの」になってきた。いわば、恋愛は一種の贅沢品・嗜好品化したということである。ソシャゲのハイカ・キンゼーよりも金がかかることもあり得るかもしれない。



また、恋愛とは相手(ここでは異性に限定する)が存在することが前提であり、その相手は原則として人間である。自分以外の人間については、余程の洞察力を持つ人か神でない限り、その思考や気持ちを汲み取ることなど不可能に近い。人間とは贅沢なものを考える生き物で、恋愛中に「何も言わずに察してほしい」ことを求めることが多く、これについて面倒に思う人は多い。それ以外のことについても恋愛において面倒事は多く存在し、これを恋愛しない選択のファクタとしている人もいる。「俺は面倒が嫌いなんだ」

これらは恋愛する時に殆どの場合についてくるもので、なかなか切り離すことのできない問題でもある。しかし恋愛しない選択をした人は、自ずとこれらの問題から回避していると言える。その他の恋愛が関わる面倒事や問題についても回避できることであろう。つまり、恋愛しないことによるメリットに気付いて、それと自分の生活スタイルが合致することで選択している人もいるのではないか、という分析ができる。

この場合におけるメリットとは、金がかかる・面倒事があることの逆、つまり無駄遣いを防げる・面倒事がないのでストレスフリーでいられる、自由時間も大いに増えるといったことが言える。また、恋愛するとありがちな痴情沙汰に振り回されることもない。特に経験人数による意見の相違や浮気などは、実際に相手がそうでなかったとしても考えてしまうことでもあるので、これらのことを一切考えなくてよくなると、恋愛しないという選択は「利口」と言える。物事を客観的に捉えることができる人ほど、この傾向があると思われる。

第3反論:恋愛経験なし=異常レッテルは一種の差別に当たる

人間とは何かと比較したり、自分とは違う存在として線引きしたがる悪な生物である。違いを認めて共存できる社会を目指すといった綺麗事をほざいているが所詮それは上辺だけの話である。違いを認めようとしない姿勢はいつの時代になっても根本的に変わらないことであり、それは名ばかり自由の国アメリカを見ればわかることである。何年経過しようと根本的な差別は全くなくならないのである。

同時に、恋愛経験がないことによって異常レッテルを貼ろうものなら、それ自体が一種の差別に当たる、と考えている。これは先に書いたことでもあるが、他のことを一切考慮せずに恋愛経験というたった1つの重みだけでその人が正常か異常かを判定する人自体が異常である。また、異常レッテルを貼ることについては根拠のない線引きをしていると考えると、この部分が差別に該当するであろう。ただし現代はあらゆる行為について、例え小さなことでさえ拡大解釈による差別だと定義されてしまう可能性が高いので、これもまた拡大解釈の域を出ないものになるであろう。もしそうだったら申し訳ない。

しかし結局のところ、恋愛経験がないことに対して「おかしい」という目を向けてしまうこと自体、そこに差別的意図を含んでいるというようにしか思えないのである。これも「昔からの風習」であるとすれば、悪しき風習と言えよう。だがこれについては風習となってしまった現在、そう簡単には変えられないことであるので、異常レッテルを貼られることになるのはしばらく止められないであろう。

恋愛経験がなくてもおかしくないことの、一般的な話から見る反論は一応ここまでである。

KIBEKINの経験談:執筆時点まで一切恋愛経験なしの私

恋愛経験なしでもおかしくないことを言うのであれば私自身の経験談も一応話しておく必要がある。まず、私自身のことについてであるが、執筆時点で25歳のブログクリエイターで社畜が出来ない、一般社会における無能である。現在は限界ギリギリまで切り詰めた上での実家暮らしである。この状態では当然のことながら恋愛どころではないうえ、将来性は確定で0だ。社畜適性0であったため、人生詰みモードでしかない。

恋愛経験についてのみ語るのであれば社畜以前の話をすべきである。と言っても本当に何もなかったので、書けることがないのである。明確には憶えていないのだがインターネット環境下がなかったころから多数のゲーム(コンシューマ機)に熱中していたこともあって、外に出歩くことは全くなかった。同時に典型的なシングルプレイヤーでもあったため、同級生と遊ぶことすら全くなかった。仲間内で遊ぶ代表格のモンハンは人生で一度もやったことがない。



高校でも大学でも、部活やサークルに一切加入しない永遠の無所属・新人であった。そのため外に出る機会は非常に少なく、大学ではアルバイトを優先したため、勉強にゲームも優先した結果そんなことをしている暇は1ミリ秒たりとも存在しなかった。その頃大事にしていたのは、自分が楽しいかどうかだ。なお、アルバイトは大学入学前(イチロー51番一浪)からしていて、社畜直前までやっていたので実に5年も続けていたことになる。これは普通にできていたことなので、もし社畜ではなくアルバイトを続けていたら別の未来があったかもしれない。が、もはや後の祭りというものだ。

あまり過ぎた日々=昔のことを考えるのは嫌いなのでしたくなかったが、解説のためには仕方ない。ここからわかるのが、恋愛経験は確かになく、かなり省略したとはいえ内容は陽キャによる相対比較の陰キャと呼ばれる内容の生活スタイルそのものであった。だが同時に、果たしてこれだけで私が異常であるかどうかを判定することができるかという話になる。

自己判定であるが客観的に考えれば、答えは必然的に「NO」だ。恋愛の部分だけを見ても(これもまた省略しているとはいえ)それが人間としてやばいかどうかの判断材料としては実に情報不足であり、そもそも恋愛に触れられていない時点で評価不能である。例えるなら、お互いがやったことのないゲームで上手さを比較するのと同じことである。評価したいなら無理矢理にでも恋愛させた方がいい、もっともその場合では失敗にしかならないと思うが。

したがって、恋愛経験は一切なし、そして現在も全く恋愛の気配の1つもない私であるが、それで私がおかしいのであれば、同じような状態の人もまたおかしくなければならない。このことを考えれば、実に無意味な評価であると分かるはずだ。

くだらないことで消耗するのは終わりだ

今回は恋愛経験がないと人間として異常であるという、恋愛至上主義の皆様の意見をぶった切りま~すww全面的に否定し、さらに一般反論と私の経験談をもとにして、恋愛経験がなくても決して人間として異常ではないことを書いていった。恋愛経験で人間を評価する行為について、私としてはどうも理解できないことであるので反論を書いてみた、というところである。

恋愛については、それ自体が一般的なコンテンツと化したことでネットでも従来型ゴミメディアでも現実における話題でも、1つのネタとなり、或いは笑いのために何かしらの茶化しを入れることであろう。そのように扱われているからか、または恋愛という未知の領域に対する情報が欲しいのか、ネット上では「恋愛」の2文字とそれを含んだ複数のキーワードで検索する人が多いようだ。

その中で時折見かけるのが恋愛経験がないことによる人格否定や、自分に経験がないのかがおかしいのかどうかを人に委ねているところである。そしていずれも疲弊しているように思える。だがここでは語ったように、実にくだらないことであり、根拠のないことである。これが果たして答えを探している人の最適解となるかは不明であるが、恋愛経験の有無で異常かどうかで悩んでいるなら、私は全く異常ではないと後押しする。同時にそう評価してくる人こそ異常であるから、そんなくだらないことで消耗するのはもう終わりだ。もっと自由に生きていい、それが結論である。長くなったが、以上だ。

 

以上、恋愛経験がなくてもおかしくない!~KIBEKINの考え方~であった。それでは、次回の記事で会おう。ン、バァーイ!

 

KIBEKIN at 19:40 Apr. 13th, 2021


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KIBEKIN
会社員という働き方が合わないのに会社員になってしまってから、半ば自分からリタイア後ブログクリエイターとなり活動してきた社会不適合者。今後の活躍の約束とHIKAKINリスペクトの意味を込め、リンクス岐部からKIBEKINに改名した。

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