この記事の概要を簡単まとめ!
- 人間関係に苦しむ人はいつになっても多い
- 現代は人間関係は基本が「希薄」でボタン1つで関係を簡単に「オンオフ」できる
- 過去に何度も人間関係で苦しみ、「思想の相違」が人間関係を悪いものにした
- インターネット上での関係は「希薄」であることを前提とする
- インターネット上で見れるのは表面的、一部分でしかないことに注意する
- いなくなったらそれは単純な「思想の相違」だったと割り切る
- 希薄な人間関係に囚われず、しっかり見極めていけ
人間関係とはいつになっても面倒なもので、くだらないことに何度も苦しめられている。そうして1つずつ、人間関係の攻略方法を学んでいく。インターネットに資料が上がっていても、実際には実戦形式でしか経験値を積めないのがどうにも苛立たしいことである。
インターネット全盛期において人間関係の希薄さはより進行している。ボタン1つでそれが可能になり、繋がるのも離れるのもあまりにも簡単になってしまっている。それに気付いたとき、私はそんなことで一喜一憂していては身も心も持たないと分かった。それに「さよなら」を言いに行くことにした。
ひとっ飛びできる目次
表面だけの付き合いは飽きた
面倒な人間関係
いつの時代も人間関係に苦しむ人が多い
この世で面倒なものとは何かと考えたとき、私が先に思いつくのは人間関係であると答える。それは今まで人間関係で苦しんだことが何度もあるからだ。これに同意する人は少ないが確実に存在すると考えている。あまり思い出したくないが人間関係に苦しんだのは大学よりも遥か過去の学生時代、そこで既に人間不信や人間嫌いに陥っても仕方ないレベルでの仕打ちを受けている。
Google検索では人間関係のサジェストに「疲れた」「めんどくさい」「うまくいかない」「リセット」「断捨離」といったものが並んでいる。インターネット上でも人間関係に苦しんでいる人は一定数存在し、これについて同じ悩みを持つ者を探し、解決策を求めているということが分かる。もっとも、その解決策はそれぞれの主観で語られるものであるが故、万人への万能薬にはならないのが殆どである。
インターネット全盛期において人間関係は基本が「希薄」である
現代をインターネット全盛期と言わずして何と言うべきだろうか。SNSの一般化と乱立、個人間のチャットサービスも乱立した状況で、人同士の繋がりは容易となったというべきだ。実際に合わずとも文字情報を簡単に伝達することができるほか、少し工夫すれば音声と映像も簡単に双方向伝達が可能である。そして同じ趣味や嗜好を持つ者を探しやすいという構造が殆どのはずだ。
だがそれは往々にして、人間関係の希薄さに拍車をかける結果にもなっている。それを代表的なSNSで例えるならば、多くのSNSとはボタン1つで簡単に関係を「オンオフ」できるはずで、その重みは画面を軽くタップするだけ、あるいは右クリックするくらいの圧力だけである。日常的に使用しているならその操作は感覚的、無意識的にするもので、いちいち何か考えてその操作を行うというのは少ないはずだ。何か「事件」が起きたとしたらその限りではないが。
過去に何度も人間関係で苦しみ、「思想の相違」が人間関係を悪いものにした
このブログを見ている人なら、私が過去に何度も人間関係に苦しんでいるということは知っているはずである。その度に失望しては怒りに満ち、それを文字情報として昇華していった。私はこれを何度も繰り返してしまうので、そろそろ本気で学習しないといけないように感じている。教本か何かがあった方がいいとさえ思う。
これを書く少し前にも、かなりキモいクソ左翼がわざわざ探してまで喧嘩を吹っ掛けてきたことがあり、流石卑しいジャップ野郎だと感じたこともある。喧嘩相手を自ら求め、間違った正論で相手をねじ伏せ、聞く耳すら持たず一方的に非難だけするその姿は匪賊以上に危険な存在だ。そのせいでTwitterから撤退して一旦身を隠さなければならず、人間とは卑しいものであり、関わるのを最小限にすべきであると、そう感じることでもあった。
しばらくしてTwitterに戻ってきたわけだが、やはりというべきか、「数字」は減っていた。だがそれは往々にして全くもって関わりのなかった奴だったこと、過去にもう何度も遭遇した現象ゆえに、「またか」とさえ思った。もはや一喜一憂することも全く無かった。感情が死んでいる、と言っても差し支えないかもしれない。
この経験をもとにして、次項から書いていく「人間関係の希薄さ」と、「一喜一憂しない方法」について解説していく。
人間関係の希薄さと一喜一憂しない方法
インターネット上での関係は「希薄」であることを前提とする
まず大事な前提として、インターネット上での関係は「希薄」である。これは先のことからも分かることだ。そもそも、現実ですらすれ違う人すべてを気に掛けることなどしないはずである。そしてインターネットとは現実の拡張に過ぎず、決して「もう1つの世界」というわけではない。このことから、インターネット上でもいちいちすれ違う他人のことを考えている暇などないということになる。
表面的、一部分しか見れないことに注意する
また、SNS等のインターネット上では個人情報とは毒薬であり、万一の場合死に追いやる可能性のある危険物である。これを知っている多くによって匿名性が最重視されているために、情報を小出しにしている、隠していることも多い。したがって普段見ているものは殆どが「表面的なもの」だけであり、一部分しか見れないということに注意すべきである。そしてそれは(露出狂のような馬鹿でない限り)自分側も同じことである。この状況下で自分ないし相手のことを知れるというのはかなり難しい話だということが分かるはずだ。
また、人によってはどうコミュニケーションを取っていくべきかが分からないという人も多く、そのため自分からは話題を持って話しに行くということをしない(できない)ということも珍しくない。そうなるとその人のことを知る機会というのは全く無くなるであろう。というのも、人間関係の希薄さは他者への関心の低さでもあり、それは先に説明したすれ違う人を気にかけないのと全く同じことである。特にSNSにおいては「数字」のためにとりあえず感覚でやっている人も多いはずである。その場合は一方的発信か、固定のユーザーとの交流に限定され、新規開拓は非常に少ないはずだ。そうして「表面的に繋がっている」だけになっていくのがSNSでの日常である。
邪魔な「外敵」に気をつけろ
インターネット上では情報のアクセスが簡単にできるせいで、意見の相違に遭遇する確率は非常に高くなっている。もっとも、そういうものは見なければ何の問題にもならないのだが、一部の愚かなジャップはその意見の相違をどうしても許せないことがあるらしく、しかもわざわざ自分から見つけては攻撃するようなタチの悪い人間の姿をした蟲がいくつか存在する。
この手の迷惑行為は実際避けようがないのが現実で、そして予測不可能なことである。だが同時にそういうものはほぼ暴言や恐喝といったものに近いレベルで相手を攻撃すると満足して帰っていくというのが常である。それにわざわざそのことを想定して言いたいことをセーブするのは、おそらく多くの人にはストレスになることであろう。そんな一瞬しか存在しない迷惑行為のために自分が嫌な思いをするなら、いつも通り活動していた方がストレスにならないはずである。とはいえ実際に遭遇するとストレスになるので、あまり真剣に相手にせずに軽くあしらう程度にするといいだろう。
いなくなったらそれは単純な「思想の相違」だったと割り切る
残念ながらいくら取り繕うとも、あるいは何も気にせずに振る舞っていても、時として去る者は存在する。これは「活動者」である場合は気にすることの1つであろう。このことについて、散々にいなくなることを経験した私から言えるのは、「思想の相違」で自分と合わなかっただけだ、と割り切ることである。
私が常日頃から思っていることが、「思想の相違」はいつも戦争の火種であるということ。その結果が現在のクソにまみれた世界である。世界レベルですらたった少しの違いで無駄に戦争になるのだから、末端の個人レベルでも「思想の相違」は当然のように存在し、それがきっかけで何もかもが無に帰すということは多い。私は本音を隠して嘘を言ったりすると、鳥肌や吐き気を生じたり瞬間的に頭痛が発生するなどの身体的なダメージが生じるので、基本的に本音100%で活動している。
そうしていれば大半は無反応であるが、一部は私を嫌う要因となり、気付けば離れていることも多い。それこそが「思想の相違」を起因とする離反である。そして思想とは互いに簡単に変えることのできないものの1つであるため、私の考えを受け入れることができなかったという風に捉えることができる。そうすることで、「分かり合うことはもとより不可能だった」として、仕方ないものとして割り切ることができる、ということに繋がる。こうして割り切ってしまえば、居なくなったことに対して一喜一憂することもなくなり、無駄に精神的にかき乱されることもない。もし今まで人の増減で一喜一憂していたのなら、この考えは生活に役に立つはずだ。
希薄な人間関係に囚われず、しっかり見極めていけ
私はいつも人間関係で翻弄され、傷付き、その度に人間はクソであると結論付けて人間を嫌うようになっていた。もっとも人間嫌いに関しては昔からそうであり、今も1年前ほどから既に人間嫌いになるようなことを断続的に経験しており、そして未来にも人間嫌いになることがきっと待っているであろう。おそらく人間嫌いを克服することはできない。
人間嫌いになる原因は非常に多いが、その1つは希薄な人間関係にあるだろう。それは現代社会、インターネットが生み出した闇と言える。あまりにも薄っぺらく、無責任で簡単に壊れてしまうような人間関係だが、これが一般化したせいで多くの人間関係はインターネット上で構築されるものになっている。だが簡単に見つけられて接触もできるということは、その逆の簡単に離れて拒絶することもできるということも意味する。その重みは殆どがたったのボタン1つであり、日常的行為でより軽いものである。大抵はいちいちその重さを気にすることもない。
そんな希薄な人間関係で一喜一憂するのは今日で終わりだ。現代においては人間関係は壊れやすく、それを前提に置けば『来るもの拒まず去るもの追わず』のスタイルであるべきだと分かるだろう。そうすることで何が起きようとも冷静で居られるようになる。これは人によっては到底受け入れられないものになるだろうが、だがそうでもしなければならない現代がおかしいと言っておく。それをしなくてもいい人ならそれでいいし、もし人間関係で苦しんでいるならそうする方がいい。好きにやればいいだけだ。
以上、希薄な人間関係~無駄な一喜一憂に「さよなら」を~であった。もう人間関係で苦しむのはやめにするんだ。
KIBEKIN at 00:00 Dec. 30th, 2023
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