この記事の概要を簡単まとめ!
- 非健常者が生きることは一部の人にとって苦行
- 自殺が許されないという一般常識
- 安楽死が権利として存在するスイス
- 無理矢理生かすのは果たして正しいのか
- 死は救いではない
なりたくてなったわけではないのに、病気や精神疾患や発達障害になってしまった。生まれたくてこの世界に生まれたわけではないのに、辛い家庭環境に生まれてしまった。誰も好きで選んだわけではない。誰だってそうなることは嫌である。そうでありながら、生まれてくる
しかし日本ほどこれらのことに関しては冷たく、自業自得で済ませて見放しては、それを嘲い見下して、マウントの対象にする。そこに一人の理解者も存在せず、孤独に生きることを強いる。身近な人が理解者となってくれればまだ助かるのだが、そうでない場合は本当に孤独のまま生きることになる。特に親に理解してもらえないということが多々見受けられる。
そうして辛い日々を送り、いつしか耐えられなくなったときに、死ぬことが頭に浮かぶ。この瞬間に、死=解放というシンプルで強力な式が完成する。しかし問題は、自殺は一般常識的に認められていないこと、いざ自殺しようにも死ぬのが怖いこと、痛いのは嫌であること、偶発的事故はなかなか起きないこと。それらの要件が重なって、死ぬに死ねなくずっと苦しんでいるということも多い。
そんな状況を解放する最後の手段として、スイスには安楽死が存在する。ただし今回は苦しみから解放されることについての「安楽死」について考えていく。