この記事の概要を簡単まとめ!
- VTuberにとって大事な要素は多い
- 一番目に見えやすい「数字」にこだわるのは分かる話ではある
- だが数字にこだわりすぎることは悪でしかない
- PV数0、コメント数0はもはや当たり前の世界である
- 何も話すことがなければコメントがないのも当たり前
- コメントの強要こそ愚行であり、「見たくない」を加速させる
- 「数字」に固執しすぎるならVTuber向いていないからやめちまえ
私がいつも不思議に思うことは、毎日「新人」と「準備中」のVTuberをどこかで見かけることだ。一体どこから生えてきているのだろうかと思うのだが、もしかするとVTuberが採れる畑でもあるのかもしれない。その畑は物量作戦で展開されていて、質の高いVTuberは100人に1人、他は品質に満たないので廃棄。そんな商売でもしているのだろう。
そんな中で、1つのどこの馬の骨かもわからないやつが「大層なおきもち」を発表し、それが何だか話題になった。それはすぐに見れなくなったが、見れないのがブロックの場合に表示される理由だったので、否定意見を拒絶する「ジャップ政府式」をやったようである。幸いにもブロック前に魚拓は撮ったので、そのおきもちに盛大な反論をしてやろうと思う。
ひとっ飛びできる目次
そんな考えではこの先生きのこれない
VTuberの大事なもの
あらゆるものが継続のための要素
VTuber戦国時代が2020年に始まってから、既に3年も経った。VTuberはおそらく、一般的なYouTuberより敷居が低い。それは個人情報保護の観点がまずある。次に本物のONAKINや石XKINを筆頭に、何でもやるタイプが存在する以上、やる前に「ネタを先に取られた」状態になることで手詰まりになることが多いが、VTuberの場合は同じことをしていたとしてもそれほど気にならないためだ。敏感な人は気にする可能性はあるが、それは知覚過敏を疑った方がいい。
ところで大事なこととして語っておきたいのが、VTuberは始めるのは簡単だが、継続することは難しいということである。このことはcleaちゃんも語っている。そのcleaちゃんは紆余曲折あるが4年目に突入している。もっともcleaちゃんの場合は本業のVTuber以外の仕事があり、それによって生活を保っているという状況である。それ以外の「ガソリン」を除いた大多数のVTuberについても、本業の仕事と生活の合間にVTuberとして活動しているということが多いはずだ。その場合はそもそもVTuberとしての活動で収益を得ることは主目的ではないので、それでVTuberとして活動することについて色々と悩むことがないために継続できるのであろう。
逆にVTuber単騎で生活すると考えた場合、「何でもあり」で考えなければならないであろう。つまり、できることは何でもして、それが不得意な事であってもやらなければならないということである。これについては、企業という後ろ盾がある場合はあまり悩むことはないであろう。しかし個人でやっていく場合には、それらを原則1人でこなさなければならないわけで、その意味では過労になる。加えて、他のVTuberとの差異を出すために考えすぎるがあまり、考えることすら嫌になるということもあり得る。だがそうでもしなければならないのが現状である。VTuberを継続するためには手段など選んでいられないということだ。
最も目に見えやすい「数字」
VTuberとして活動するにあたってポイントになるのが「数字」だ。無論これはVTuber以外でも重要であり、他にも重要な指標は存在するが、「数字」であるがゆえに「数値化」が容易で、不可視な事象を疑似的に可視化できる、最も目に見えやすいものであると言えるだろう。
これは「どの数字であるか」によって、目標値が異なる。例を挙げるならYouTubeが1000人・4000時間、Twitchなら50人・平均5.0人といったところである。これが何を示すか、実際に活動している人なら知っていることである。それ以外の数字としては、イーロン・マスクのせいでオワコン確定なTwitterのフォロワー数が分かりやすいはずだ。とはいえ、それぞれはタイプの異なるプラットフォームであり、その数字がイコールになるとは決してありえないことであるのは理解しておくべきだ。中にはYouTube・Twitchの登録者数とTwitterのフォロワー数で逆転現象を起こしており、VTuberとして本末転倒になっている奴も多い。しかもこれを理解できていない馬鹿も多くTwitter上で散見される。
そしてこれらの数字は、個々の目標・目的によって詳細な値が異なる。前述の数字は公式が発表している情報を元に一般化されたもので、それを基準に個々がそれよりも高いあるいは低い数字を設定するはずだ。このことについては、それぞれが熟考した上で設定した数字であることが予想されるため、基本的には外部からは不干渉である。もっとも、他人にうるさく口出ししてくるような奴は、そっちの方が危険人物であるが。ともかく、数字は目に見やすく、そして扱いやすいものであると言えるはずだ。
数字へのこだわりが強すぎることは悪でしかない
だが最近気づいたことがある。数字へのこだわりが強すぎることは悪でしかない、と。皮肉なことにこれはTwitter上で気付いたことである。これは駆け出しの新人に見られるものかと思ったが、寧ろデビュー後ある程度経ってからのVTuberの方がこれにこだわっていることに気付いたのである。
これに関しては次項で詳細を書くが、Twitterで所謂「おきもち」として流れてきたものであり、最近の運営方針転換に伴って同業者が増えたことで自然とその情報もこちらに流れてきた。既に反応が非常に多かったようだが、その後すぐに鍵垢化されたか、あるいは否定的意見に対してブロックしたかで見れなくなってしまっていた。
だが、あらかじめ魚拓を取得していたため、見れなくなっても問題なくここで使用することができる。その魚拓から書かれていることを書き起こし、その「おきもち」に対して反論していくこととする。
「0」の数字を恐れるな
「おきもち」の主張全文
まずはこの記事を書く発端となった「おきもち」について、画像と書き起こしを掲載する。
こんにちは、殻貝ひめです。
ライバー・リスナーの皆さん、いつも仲良くしてくださってありがとうございます。
今日は普段枠に足を運んでいただいてる皆さんに、近日自分の枠について思ってることをお伝えするためにこちらの文章を綴っています。
最近、配信をしていても全く楽しくありません。
私がなにか話題を振っても誰も答えてくれない、長時間ROMになる時も教えてくれない人ばかり、一言の断りもなく落ちていく人もいます。今日はそういうお話です。
来てくださってる方はわかると思いますが、私の枠は人がいないわけではないです。
でも不思議ですね、人がどれだけいても、3人、5人いても、8人いても、10人いても、コメントしてくれるのって、どうしてかせいぜい2,3人なんです。
私はCDじゃないですよ。勝手に喋る機械じゃないです。1人の自我を持った生き物です。
そういう私に「ROM気味になるかも」「今日 は○○を食べたよ」「○○だからおちるね」 の言葉ひとつも言えないほど忙しいですか?私と喋るリスナーが1人もいない時、「惨めだからコメントしてあげよう」そういう心遣いをひとつもしていただけないほど、私という枠主の優先順位は低いでしょうか。
人がいるのに虚空に向かって声をかけるのはなかなかしんどいものです。
今のままでは、私は作業やROMを禁止した枠を作っていかなければならなくなります。
どうぞ、みなさんに私の今の思いが伝わりますように。
柄にもなく真面目な文面で失礼しました。
というわけで!!!殻貝ひめ!!!しばらくノルマしかやりません!!!ランキーもやめます!!!イベントも走りません!!!
よろしく!!!
殻貝ひめ
このおきもちは、「殻貝ひめ」というダサい名前のVTuberのものであるようだ。おそらく本人にとっては真面目に書いたものであろう、しかし私にはこれが実に滑稽で、実に無意味なものに思えた。もしその場にいたのなら、皮肉を込めた盛大な拍手を送っていたであろう。
「0」は当たり前のことである
「0」という数字は、某オフ会を思い出すが流石にもうこのネタも古いものになりつつある。0そのものは、その数字の意味によってポジティブでありネガティブにもなる数字だ。そして大抵の物事は、この0が起点であることが多い。1が起点なのは、寧ろゲームの世界である。
それではVTuberにおける0とは何かと言われれば、まず思い浮かぶのはフォロワー0人である。これに関しては活動すればすぐに1人くらいはつくので、ずっと0ということは少ないであろう。次に想定される0は、PV数0人やコメント0である。これはVTuberに限らず配信者全員が全力で避けたいところであるはずだ。だがこれは残念ながら、どうやっても発生する時が来る。それは始めたてでも、ある程度固定客が存在するようになっても、である。
これについては色々と言いたいことはあるであろう、だが私からすればこれは全く気にする必要ないことであり、寧ろ気にしすぎると何も出来ないということだ。そもそも、雑談を除きゲームでも作業でも何でも、通常は「1人で行っていたもの」であるはずで、それを不特定多数の誰かが閲覧可能な状態でリアルタイムで共有することが「配信」であると私は考える。なので誰も来なくとも、それを理解しているのなら0人であったとしても全く問題ないはずだ。
おそらくはこれを理解していない馬鹿が配信して、誰も来ない、反応がないと嘆いているのではないかと思われる。しかし配信前の状況を思い浮かべれば、「0」であってもいいはずである。
話すことがなければコメントもない
さて、次に考えられる0である「コメントがない」ことについてもその理由付けが可能だ。リスナー側で話すことがないのなら、コメントがなくて当然である。配信者の「独り言」に応じて何かしらの反応を返すことはあるだろう、しかしリスナーの範疇外である話題であれば無理にコメントすることもないはずだ。リスナー側の視点から考えれば、そこまで考えて観るのは流石に辛いはずだ。
あるいは人によっては作業用BGMの代わりとしていることもあるだろう。これもよくある話である。例えばcleaちゃんについては、その声に一定数の需要があり、寝落ちするまでBGM代わりにする人が居たくらいである。その場合はコメントをすることは確実に不可能であることが多い。それ以前にイヤホン挿しっぱなしとなるため耳が心配になるが、それはそれである。
リスナー側としては、最近は配信の複数同時視聴は当たり前になっており、その場合はコメントに忙しくなるはずだ。ここに何か作業をしたり、自分の事情で離席しなければならない場合に悠長に「退席コメント」なんか打っていられるかということである。また、配信者は誰が来て誰が出て行ったかなどを気にする余裕は、雑談以外では殆どないものと考えられる。なので別にあっても無くても変わらないはずだ。したがってこれも無理することはない。
このように考えればコメントがなくとも何ともないはずである。また、配信者自身、集中していると全く喋れなくなることもあるだろう、その場合はリスナーもまた固唾を飲んで見守っているためにコメントが無いということもあり得る。様々なパターンが想定されるので、それを前提とすれば気にならないはずである。
逆に強要は解除を加速させる
表題の馬鹿は、コメントがないからといってコメントを強要させる方向に持っていこうとしていることが分かっている。これは愚行の極みだ。コメントすることがないからこそコメントしない、あるいはその配信の空気的にコメントしにくいということがあって様子を見ているというのに、コメントしなければ見てはいけないとは前代未聞の配信である。そんなものは聞いたことがない。
人とは不思議なもので、強要されるほど抗いたくなるものである。なので、コメントしなければならないという制約があるのなら、人はその配信から足早に立ち去ることが予想される。そしてこれは、その配信者を知らない完全な新規には高いハードルである。それらには近寄りがたい印象を与えてしまうであろう。こうなってしまうと新規獲得は難しいものになり、戦略的に失敗と言わざるを得ない。
また、2つ指摘すべき点として、作業やROMを禁止した枠を設定することの意味は全くないこと、そして自分で自分を惨めだと思っていることだ。前者は現状どのプラットフォームでも、どう設定しようがシステム的に不可能であり、例え理解がある人「のみ」が集まったとしても毎秒コメントを打てるわけがないからだ。後者は自分の自信のなさ、義務感で楽しくない感じを表しており、そんな人間がやっている配信を見に行きたいかと思えば、答えは100%”NO”だ。配信者が楽しまない配信など、何が面白いのか。これが解明出来たらノーベル生理学賞でも授与すべきだ。
以上で反論を終了する。あの馬鹿が今も生きているというなら、直接殴りたい気分である。
「数字」に固執しすぎるならVTuber向いていないからやめちまえ
イーロン・マスクの大馬鹿野郎によって荒れるTwitter上で見かけた、あるVTuberの「おきもち」。このおきもちに対して初めから私は強い違和感を覚えた。その後すぐに殻に籠ったことでソースは完全にアクセス不可能になってしまったが、その前に記事のネタに使おうと思って魚拓を取得していたことが幸いし、こうして書くことができるようになった。
私は本格的に始めることになったのは4月15日からNUROモバイルの回線を手にしてからであり、それ以前からやってはいた状態である。その頃から私は自身が嫌われ者であることを自覚して、一匹狼で基本誰かに頼らずに独りで解決しようと動いてきた。その経験があるからか、「独り」という状態に慣れており、だからこそあの「おきもち」に反論したくなったのだと感じている。そもそも配信は「独り」だろう、誰かいる前提が間違いだ、と。そのVTuberはおそらく、承認欲求が強いメンヘラか何かだったのではないだろうか。でなければ、あんなことは書くはずがない。
「数字」は確かに大事である。工学部出身なので尚更その重要性が分かっている。だがその数字にこだわりすぎると、本当に大事なことが見えなくなってしまう。そうなってしまうと色々と拗らせて悪い方向にしか落ちなくなっていくであろう。なので、数字以外のことについても視野を広げて考えていき、自分の進むべき道を明らかにする方が明らかに活動しやすく、精神的に健全だ。進むべき道にしっかり進んでいれば、結果はその後からちゃんとついてくる。
だから私は、「数字」に固執するVTuberにはこう言う。
VTuber向いていないからやめちまえ。その方がお前にとって幸せだ。
前提として、誰にも言わないで済むことが理想であるが。
以上、VTuberおきもち反論~「数字」を気にしすぎるならやめちまえ~であった。VTuberになるなら、しっかりとした目標や目的を持て。
KIBEKIN at 00:00 Jul. 31th, 2023
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